著者 : 日向仁
昭和19年10月、日本陸海軍の連合部隊がサイパン島の再奪還に成功する。同じころ本土では、講和のタイミングのラストチャンスを模索し、海軍大臣官邸に、海軍首脳と陸軍参謀本部の面々が集められていた。山口多聞中将の命と引き換えに手に入れたマッカーサーの身柄。彼の返還をきっかけに米大統領を交渉の席につかせるつもりであるが、マッカーサーの身一つでは圧倒的な優勢を誇るアメリカに対し、切り札にもならない。「アメリカが唯一我々と講和を結ぶ可能性があるとすれば…」米内海相の目が光り、逆転和平への驚くべき秘策が語られた。源田が伊藤の戦艦部隊を守るべく機動艦隊を遊弋させるサイパン沖。角田が米戦艦部隊へ連山の出撃命令を下した父島。闘将たちの最後の大舞台。その幕が切って落とされた。シリーズ大団円。
「通信長は、どこに来ると思う?」「レイテです。まずレイテに間違いありません」山口多聞第二艦隊司令長官は満足そうにうなずいた。「私もそう思う。となると、問題はどこで待ち受けるかだな」大和作戦室内では緊迫したやりとりが続いている。負けることのできない決戦が近づきつつあった。艦上型に改良された爆撃機銀河を擁する第一機動艦隊も満を持して待機しているとの報告も受けた。山口長官は一人部屋を出ると、舷窓から星空を見上げた。(源田も本気だ。あとは角田の一航艦だな。今度は帰れん)生きて汚名を晒してきた男の最後の闘いが始まろうとしていた。
赤城、加賀、蒼龍、日本の誇る機動部隊がミッドウェーの波間に消える。ただ一隻、阿修羅の奮戦を続ける空母の命運も風前の灯火であった。「か、艦長はいるか…総員に退艦命令を…だ、出してくれ」空母座乗の第二航空戦隊司令官がもうろうとした表情で告げる。「うっ…おーい…俺の足を誰か羅針盤に…ううっ…縛れ。か、棺桶から流れ出したら…うっ…たまらんからな…た、たのむ…」かろうじてつぶやくと、重傷の司令官は意識を失った。「よーし今だ、司令官を運び出すんだ。いいか、しばらくは目を覚まさんよう安定剤を多めに打てと、軍医に言うんだぞ」艦長が大声で叫ぶ。司令官は屈強な男たちに担ぎ出されていった。時は流れ昭和19年10月、レイテ湾。九死に一生を得た男が大和に佇む。
連合艦隊司令部が陸上から指揮をとる異例の事態で発令された作戦第一弾は、空母飛行機隊により米輸送船の強襲であった。ガダルカナル沖での日米の熾烈な攻防戦が始まる。米海軍の新鋭機F6Fの待ち伏せに遭い、緒戦は痛み分けとなった。再度、敵戦闘機を撃破すべく零戦隊が飛び立った直後、山本五十六連合艦隊司令長官に内地帰還の命令が届いた。超大鳳を核とする新機動部隊編制に山本の意見が必要とされたのである。山本は帰国すべく、急遽ラバウルを飛び立った。同じ頃、この緊急電報をキャッチしていた米空母ホーネットでは、山本機を撃墜すべく、80機のグラマンに出撃準備が命じられていた。日米の命運を分ける出来事が起きようとしていた。
昭和17年(1942)7月18日未明、マーシャル北方500キロ洋上-。クエゼリン基地から発進した水上機母艦千歳の零式水偵が米艦隊に撃墜された。日本海軍が回避に回避を重ねてきた、日米の衝突がこのとき現実のものとなった。ハワイ攻撃を直前で中止して、日米開戦を回避した山本五十六司令長官も、戦艦大和を旗艦として、急遽、中部太平洋での邀撃作戦のため出撃した。大和は、武蔵・長門・陸奥・伊勢・日向の砲戦部隊を引き連れ、米艦隊に向かった。前方には、金剛・比叡・棒名・霧島の高速戦艦部隊、そしてその左右に、軽巡神通指揮の第2水雷戦隊の駆逐艦16隻が力強く波を崩いて突進していた。駆逐艦には、日本海軍が誇る九三式酸素魚雷264本が装填されていた。山本長官は、飛龍・蒼龍の空母部隊「九七艦攻・九九艦爆・零戦搭載」で、米艦隊を奇襲し、その混乱に乗じて戦艦部隊との砲戦に持ち込もうとした。
日米開戦は、ルーズベルト米大統領の陰謀だった。昭和16年の夏、日本を第二次世界大戦に巻き込もうとしていたのは、それぞれの思惑のもと、アメリカだけでなく、イギリス、ドイツの列強国だった。イギリスは、日本参戦によるアメリカの対ドイツ参戦を望み、ドイツは、ドイツ軍正面のソ連軍の満州派遣を望んでいたのである。遂に日本は、右に行こうと、左に行こうと、戦争へのみちしかなくなった。閉ざされた戦争の嵐の中、ひたすら戦争突入を回避しようとしていた山本五十六連合艦隊司令長官も、米海軍の挑発で連合艦隊を出撃させた。しかし、海軍工廠で建造中の超戦艦はまだ完成していない。日米対決の行方を左右する、戦艦大和をはるかにしのぐ50センチ砲搭載の超戦艦の建造が急ピッチで進められていた。書下ろし長編戦記シミュレーション。
昭和19年6月20日正午、日本帝国は遂に連合国に対し無条件降伏する。2年7カ月に及ぶ太平洋での激闘に終止符が打たれた。しかしこの瞬間、終わらぬ戦いに身を投じた男達がいた。旧日本海軍軍令部直属の第三四三潜水隊を率いた源田実以下約3000の隊員達である。この男達のヤバ島潜水艦隊は、ボルネオの北方の秘密基地に、水中高速潜水艦伊号900型を温存し、新たな戦いに鋭気を養っていた。源田は、終戦の前日に、一早く海軍内部のヤバ島関係資料を焼却し、完全な秘密を保った。そして、源田以下3000名の男達は、日本国より独立を宣言し、今後、第二日本帝国を名乗ることにした。源田を中心にこの男達が計画しているのは、秘密基地と伊900型潜を使い、日本の敗戦とともに始まったアジア各国の独立運動の支援だった。
源田実司令の発案ですすめられていた、紫電改を主力とする343空紫電改部隊が遂に編成された。先に始動している901潜以下の伊900型潜水艦部隊と合流することになる。インドネシア、フィリピンの輸送海路の保全のため、秘密基地ヤバ島から、南シナ海、セレベス海…へ、混成部隊が哨戒に出動する。折しも、米国が新型爆弾に成功し、輸送船でインドに輸送するとの情報を入手した源田司令は、三四三空の混成部隊に、この輸送船団の撃沈を指令する。そのころ東京上空は、中国から飛来するB-29の襲撃をうけていた。インド洋上では、米国輸送船団めがけ、空から紫電改部隊が爆弾を、海から901潜以下が魚雷を、集中砲火していた。
「好きな時に魚雷を撃って好きな時に逃げられる」「あんな潜水艦だったら、いつかは乗ってみたい」開戦当初に解体された幻の艦がよみがえろうとしていた-。極秘の海底艦隊司令として迎えられたのは、誰であろう、あの源田実…。根っからの航空屋で飛行機乗りにとっては神様の予期せぬ就任。謎の司令のもと、第一次大戦時ドイツ海軍が造った南海の基地を秘匿の海軍工廠として改造、米太平洋艦隊との決戦準備が進められる。米駆逐艦を得意の高速戦法で撃破、初陣を飾った伊900型潜水艦隊。敵艦に追随を許さぬスピードで圧倒、混乱させ、仕留める-。これこそ源田実大佐究極の秘策、海底の絶体国防圏構想を完成させる日本海軍“最後で最強”の秘密兵器だったのである。
スイスから原爆情報をもって帰国した品川大尉は、横空勤務となる。捕虜の過去をもつ品川を、普通の部隊には配置できない。品川はここで、新鋭機のテストの合間に、対B-29戦闘の研究に励む。横空に次々に送り込まれる試作機は、いずれも画期的な翼たちだ。烈風、陣風、景雲、そして秋水と橘花-。サイパン奪取に失敗した米軍は、機動部隊で帝都・東京を襲う。これを迎え撃つ横空、厚木空の戦闘機は、多数の試作機で反撃する。
日本の軍用機共通の欠陥であった防弾無視の思想を転換し、一式陸攻を防弾タンクにした月山は、南太平洋で活躍した。しかし、しょせん改造は改造に過ぎない。米軍がさらなる新兵器をもって現われた時、改造機のもろさが露呈してしまう。昭和一八年、新鋭高速陸爆「銀河」が登場し、月山と共に戦う。そして、来るべき最後の決戦に備えて井上成美長官がうった作戦は、新鋭機「連山」の投入と、米本土爆撃機「富岳」の開発であった。はたして国防の根本である、攻めず、攻められずを可能にしてゆく井上長官の最終的太平洋防衛戦略がどのように展開するのか。中野次郎大尉たちの第一航空艦隊の熾烈な戦いが今はじまろうとしている。