出版社 : みすず書房
晩年の代表作『消去』(原著刊行1986年)の数年前に書かれて話題を呼んだ二作、『ヴィトゲンシュタインの甥』と『破滅者』を一冊にして新たに刊行。 『甥』は、ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインをおじにもち、ルートヴィヒともども数奇な生涯を生きたヴィトゲンシュタイン家の最後の人で、狂気と破滅と隣り合わせの人生をおくりながら無類の音楽通として知られた人物の姿を、ウィーンという土地と歴史を背景に描いたもの。『破滅者』はグレン・グールド(刊行の前年1982年に没)および、グールドが「破滅者」と呼んだヴェルトハイマーを主人公に、〈ゴルトベルク変奏曲〉を全体に通底させながら展開する作品である。 いずれも、実名の音楽家や芸術家を織り交ぜながら、著者の回想の形式で進行する、ベルンハルトの真骨頂をしめす傑作小説である。 ヴィトゲンシュタインの甥ーー最後の古き佳きウィーンびと 訳者あとがき 破滅者ーーグレン・グールドを見つめて 訳者あとがき
「脱北者」の三人には、亡命の過程で家族を失うという共通点があった。 ウォンギルはモンゴル砂漠で力尽きた妻を見捨てて娘を背負って逃げてきた。 トンベクは国境を越える直前に家族全員が目の前で公安警察に捕まるが、自分だけ助かった。 ヨンナムは別ルートで脱出した家族が中国で行方不明、人身売買グループの手に渡ったらしい。 やがてオリンピックの選手村建設予定地で、朝鮮戦争にさかのぼる大量の人骨が出土した……。 経済至上主義のなかで、脱北者たちのささやかな倫理感が崩れ落ちていく。北朝鮮出身の両親をもつ作家が韓国社会を凝視し、衝撃を放った小説。
物語は紀元前45年の手紙に始まる。この時カエサル(前100-前44)はガリア征服戦争を完了の後ルビコン川を渡ってイタリアに侵入、ひきつづく内乱を制し、あらゆる政敵を倒し、古代ローマ帝国の最高権力者となっていた。 自信と才気にみちあふれ、誰をも魅了するオーラをまとった覇者カエサルのまわりには、軍人、政治家、祭司はもとより文化人、名家の美女など思惑を秘めた多彩な人物たちが蠢いていた。詩人カトゥッルス、妻ポンペイア、魔性の女クローディア、その弟の無法者クローディウス、エジプト女王クレオパトラ… 互いのあいだで交わされる心理ゲームのような手紙のやりとりが、暗殺までの8ヶ月を描きだしてゆく。 書中、カエサルが唯ひとり本心を明かすのは、無二の友トゥリヌスだーー「思うに、軍隊の指揮官や、国家の指導者の孤独より深い孤独は一種類しかない。それは詩人の孤独だ……」。頂点に立つ者の運命を知ったとき、自らの声のみにしたがって生きてきたカエサルの心は揺れ始め、不可知の存在に目を凝らし始めるーー。 人間の本性をテーマに数々の名作を織り成したアメリカ演劇・文学界の巨星ソーントン・ワイルダーが’いつかこの手で描きたい’とあたためてきた人物がカエサルだった。1948年に刊行されて以降、版を重ね、長く読み継がれてきた現代の古典である。 序言 (カート・ヴォネガット・Jr) まえがき 第一巻 クローディアの晩餐会 第二巻 女王クレオパトラのレセプション・パーティー 第三巻 善き女神秘儀冒涜事件 第四巻 三月十五日 カエサル最期の日 訳注 本作成立のあらまし (タッパン・ワイルダー) 資料 訳者あとがき
白ネズミのエマラインがエミリの部屋の壁穴に越してきた。ふたり(?)の密やかな“文通”がはじまる。「私は誰でもない!-あなたは誰?」とエミリが書いた。エマラインは返事を出し、詩を書いてみた。おどろいたことに、それはエミリに新たなインスピレーションをあたえた。誰にも会わず、どこへも出かけないこの詩人に。…エマラインの目を通して、19世紀アメリカの偉大な詩人の魅力あふれる世界が、私たちのまえに開かれる。エミリの詩12篇はすべて長田弘の新訳。エマラインの詩7篇も“デビュー”する。
時はワイマール共和国末期、空前の大量失業時代。 彼、ピネベルクは北ドイツの町で簿記係として働くホワイトカラーの23歳。彼女、「子羊ちゃん」ことエマは22歳。バルト海に面した町の労働者階級の家の娘。どこにでもいる、互いに夢中の若い二人。 予期せぬ彼女の妊娠で、なりゆきとはいえ、希望にみちて結婚し、新生活に入った二人だが、ピネベルクは理不尽な解雇にあい、夫婦は就職のつてをたどってナチス台頭前夜の首都ベルリンへーー。 さまざまに渦巻く駆け引き、幾多の障害、困難が次々に二人の前に立ちはだかる。 〈きっとうまくいくから。わたしたちはきっとうまくいくって、わたしはいつも信じてる。わたしたち、勤勉で、節約家でしょ。まっとうな人間で、おちびちゃんが生まれてくるのを望んで、喜んでいるーーそんなわたしたちが、うまくやっていけないはずないじゃない? そうじゃなきゃ、おかしいわよ!〉 ヒトラーの政権掌握前夜、明日をも知れぬ、数百万の名もなき人々=しがない民草を次々にのみこんでゆく貧困と孤独、絶望がピネベルクに襲いかかる。打ち砕かれ、転げ落ちようとする彼の前に灯された小さな、暖かい光とは……? 没後に出版され、近年にリバイバルヒットとなった『ベルリンに一人死す』の作者ハンス・ファラダの名を一気に世に知らしめた出世作にして、超ロングセラー、ついに公刊。
「その秘密の場では、それはすでに場でさえないのだが、矛盾が矛盾でなくなり、同時に、図というものが、なじみぶかい触感とともに消えうせる。人間の言葉がえがける世界は、あとかたもなく消えうせ、あるのはただ、無言にして有無をいわせぬ、色彩のない数式、不動の行列力学の抽象的な壮大さで、その想像をこえる美しさは、あなたの目に見抜かれるのをずっと前から待ちつづけていたのだ。」 1920年代、それまで不動のものとされてきた古典物理学の理論と相反する現象がつぎつぎと見つかり、盛んな論争が展開されていた。そこに「不確定性原理」をもって登場した若きハイゼンベルクは、量子力学の確立への功績でノーベル物理学賞を受ける。「あなたは何気なくポケットに両手をつっこみ、色彩のない空を前にして、無用にして感動を禁じえないほどの若さを保ったまま、可能と現実のはざまに立っていた。」しかし、その後の現実世界は、ナチスの台頭、戦争、アメリカによる原爆投下にむかって進んでいった。 量子力学に魅せられたゴンクール賞作家が、過去と現在を往還しながら、言葉にするのが困難な世界のうちに、これまでにないハイゼンベルクの姿を幻視する精密な小説。 位置 速度 エネルギー 時間 著者覚書 訳者あとがき 本書の人物
舞台は19世紀後半のアメリカ中西部。ネブラスカの大平原でともに子供時代を過ごしたこの物語の語り手「ぼく」と、ボヘミアから移住してきた少女アントニーア。「ぼく」はやがて大学へ進学し、アントニーアは女ひとり、娘を育てながら農婦として大地に根差した生き方を選ぶ。開拓時代の暮しや西部の壮大な自然を生き生きと描きながら、「女らしさ」の枠組みを超えて自立した生き方を見出していくアントニーアの姿を活写し、今なお読む者に強い印象を残す。 著者のウィラ・キャザーは20世紀前半の米文学を代表する作家のひとりであり、その作風は後進のフィッツジェラルドなどに影響を与えた。アメリカで国民的文学として長く読み継がれてきた名作を親しみやすい新訳で贈る。 序 第一部 シメルダ一家 第二部 働きにでた娘たち 第三部 リーナ・リンガード 第四部 開拓者の女の物語 第五部 クーザック家の男の子たち 付録 序(1918年版) 解説(訳者) 訳者あとがき
2004年に上下本として刊行され、圧倒的な評価と支持を受けながら、長らく品切れにしていた、オーストリアの作家トーマス・ベルンハルトの代表的長編小説『消去』を、ここに一巻にして新たに刊行。主人公フランツーヨーゼフ・ムーラウが両親と兄の死を告げる電報を受け取るローマの章「電報」と、主人公が葬儀のために訪れる故郷ヴォルフスエックを描く章「遺書」からなる本書は、反復と間接話法を多用した独特の文体で、読者を圧倒する。ベケットの再来、あるいは文学界のグレン・グールドと評価されるベルンハルトとは、いったい誰なのか。 ※2004年、シリーズ《lettres》の上下本として刊行し、圧倒的な評価と支持を受けながら、長らく品切れにしていた、ドイツ語圏の最重要作家ベルンハルトの主著を、ここに一巻にして新たに刊行。
ロシア戦線で左手を失い、故郷の山あいの村で郵便配達人として働く17歳のヨハンを主人公に、同じ年でドイツの敗戦を経験した作者が自分の生きてきた時代が犯した過ちを正面からみつめ、誰もが等しく経験せざるをえなかった「戦争の本当の姿」を渾身の力をこめて描く。
二百年前にブラジルから西アフリカに渡り奴隷商人となった男の数奇な生涯と、現代に続く彼の子孫の実態を描いた、震えるような傑作。ヘルツォーク監督の映画『コブラ・ヴェルデ』の原作としても知られる伝説的なフィクション。ダホメー王国(現在のベナン共和国)の実在人物デ・ソウザに題材をとって、大西洋の両岸、百年の時間を自在に往還しつつ生き生きと語る。現地を悉知した旅する作家による新訳で、読者の期待に応える。
『内奥への旅』『カラハリの失われた世界』など、ベストセラー探検旅行記を著し、映画『戦場のメリークリスマス』の原作者として著名な作家のデビュー作。南アフリカにおける人種差別、異文化の対立と和解を主題とした小説で、20世紀初頭の南アの激しい差別を扱い、心を揺さぶる書。作家自身の体験に基づいた、個人の良心と道徳性を問う問題作であり、現在、アメリカ合衆国でも再燃する黒人差別を考える本としても推奨したい一冊。主人公は、黒人少年との出会いを通して、否応なく黒人への抑圧と迫害の只中に身を投ずることになってしまい、白人社会から異端視され、悩み、道を模索する。時代と地域を越えた普遍的なテーマを追求した作品。
ワイマール共和国末期、頽廃的な空気に覆われたベルリンを舞台に、ファビアンというひとりの男の生活を通して時代と社会を痛烈に風刺しつつ、ひとつの真実を描いた本書は、1931年の初版刊行と同時に大きな反響を呼び起こした。深さよりは浅さを、鋭さよりは月並みを、曖昧さよりは明快さを大切にした、大胆なモラリストにして辛辣な風刺家ケストナー。その最高傑作とも評される長編小説を、初版から削除された章とあとがきとして考えられていた「ファビアンと道学者先生たち」「ファビアンと美学者先生たち」、さらに、戦後に書かれた二種類のまえがきを収めた初の完全版で贈る。
1940年、ベルリンの街はナチスの恐怖政治に凍りついていた。政治のごたごたに関わらないよう静かに暮らしていた職工長オットー。しかし一人息子の戦死の報せを受け取ったのち、彼と妻アンナは思いもかけぬ抵抗運動を開始する。ヒトラーを攻撃する匿名の葉書を公共の建物に置いて立ち去るのだ。この行為はたちまちゲシュタポの注意をひき、命懸けの追跡劇が始まる…。
始皇帝暗殺を企てる荊軻と高漸離、彼らと永遠に結ばれる春娘が織りなす友情愛。『ティエンイの物語』のフランス作家による、古代劇のごとき三声のドラマ詩小説。
人は誰も、自分や愛するひとの死を怖れ、死んだあとには何ものこらないのだろうか、という思いを抱えている。不思議な「視る」力をもった少女イゾベルを主人公に、その怖れを優しくぬぐい去るかのような幻想的な表題作は、早世した愛息への鎮魂の想いから生まれた。『秘密の花園』のコマドリ誕生に秘められたストーリーを南イングランドの四季の移り変わりのなかで綴ったエッセー、かのアンデルセンを思わせる童話、さらに、没後に少部数の特装本で出版され、アメリカ国内でも、今日読むことがほとんどかなわない遺作「庭にて」の三篇は、いずれも初邦訳。バーネットからの美しい贈りもの。