出版社 : シーライトパブリッシング
〜 自分がだれかなんて そんなこと どうしたらわかる!? 〜 アヒルに訪れた 人生を哲学するような難問! 次々と登場する まるで人間社会さながらのキャラクター達と一緒に、 楽しく そして一生懸命に でも時には ちょっと切なくもなりながら、 こたえを見つけていく物語 この世に生まれてくるとき、自分が何者かなんて知っている者は1人もいない。 でももしそれをずっと誰も教えてくれなかったら? そしたらもちろん、人生はかなりややこしくなる。 たとえば、このアヒルの女の子。彼女は自分が何者かを知らなかった。 なぜなら、クリスマスの夜、生まれたばかりだったこの子は、ジャックのトラックの荷台から転がり落ちて、突然ひとりぼっちになってしまったからだ。そして、たまたまそこにあった、ふさふさした毛に覆われたねずみのスリッパをお母さんだと思い込み、ぽかぽかと暖かく気持ちのよいスリッパの中で、まだ自分が生まれていない夢を見ながら、すやすやと眠った。彼女はこのネズミのスリッパのお母さんを持てたことがうれしかった。 こうしてすべてがこのまま変わらずに時が過ぎていくはずだった、もし、世界をもっと知りたいという願望が彼女に芽生えなければ。そしてみんなが彼女にこう尋ねなければ・・・『君はだあれ?』。 アヒルが「スリッパよ」と答えるのを聞いて、ジョージ・カストールはあっけにとられた。「ビーバーよ」と答えるのを聞いて、ポルトロン・ストレールは大きな黒いマントをひるがえし、彼女の周りをばたばたと羽ばたいた。そして、たくさんの出会いと冒険を経た後、彼女はトルマー先生と出会い、ついに自分の真の正体を知ることになる。 じゃあ物語はここで終わり?とんでもない。自分が何者であるのかを知ることは素晴らしいこと、なにより私たちに安心感を与えてくれる。でもだからといって、それだけで人が心から安らかに暮らせるわけじゃない。それにはさらに、たくさんの想像力と、何人かの素敵なともだちが必要だ。ひょっとすると、君に恋に落ちる孤独な狼も必要、かも・・・ 『君はだぁれ?』 (目次) 1 ふさふさした毛におおわれたスリッパの中で 2 考えるか、それともかじるか 3 ポルトロン・ストレールの黒い翼 4 足長族ゾーン 5 その朝、ある狼は… 6 カモクラブへのデビュー 7 お姫様 8 地界からの声 9 海辺にて 訳者あとがき
〜 このタイトルは、いったいなに!? 〜 イタリア北部コモ湖畔の風光明媚な田舎町ベッラーノで、老婆の死体が発見された。その死に特に不審な点はないが、この出来事がベッラーノの人々の生活に少しずつ影響を及ぼしていく。 次から次へと新たな展開が巻き起こり、数多くの出来事が絡み合って、大きなうねりを形作っていく、どこか不思議で、なぜだか妙に可笑しいストーリー。
〜 未亡人に訪れる さまざまな出来事が あらぬ方向へと次々に展開!! 〜 いくつものエピソードが織りなすユーモアとミステリー 映画「ひまわり」のソフィア・ローレンと同じ境遇の女に訪れる 奇妙なおかしさとペーソスに満ちたストーリー 舞台はイタリア北部コモ湖畔の風光明媚な田舎町ベッラーノ。 アンナ・モンターニの夫は徴兵され、ソ連の戦場に送られて行方不明となってしまう。戦争は終わったが、夫は何年も帰ってこないため、戦死したのかどうかも分からない。結局、夫の消息について何の手がかりもないため、彼女は自分が未亡人になったのかどうかも証明できない日々が続く。 戦後まもなくのイタリアで、決して豊かとはいえない時代を生きる普通の人々が、それぞれ自分の幸せを求めて日々を生きている。 しかしそんな生活の苦労がこれ見よがしに悲劇的に描かれることなく、ユーモアと奇妙さを伴いながら、人生の悲哀が笑いとともにそこはかとなく描かれていく。 一生懸命に生きるがゆえに噛み合わず、未亡人をめぐる展開はあらぬ方向へと次々と展開していく、可笑しいながらも、どこか温かみに包まれた、そんな不思議なストーリーです。
〜 ユーモア溢れる語り口で、軽快に、そして いつものとおり(?) 思いがけない方向に展開していくイタリアン(ヒューマン)・コメディ! 〜 町に一つしかない映画館で、「ラストタンゴ・イン・パリ(※)」が上映されることになった。 観る? 観ない? 行くなら誰と? この映画をきっかけに、アデライデの人生は大きく動き始める。 イケメンの不良青年エルネスト・タッリャフェッリ/通称〈タッリャ〉、 ゴシップ好きなご近所のティレッリ夫人、 それにキレやすいが根は優しいペッツァーティ准尉とその部下たちが加わって、 尾行、タバコ密売、コモ湖上での夜の追跡劇…… と、次々に事件が起き、てんやわんやの大騒ぎが巻き起こる。 はたして「すてきな愛」とはどんなものなのか、そして誰のもとに訪れるのか? ※ ラストタンゴ・イン・パリ イタリアの鬼才ベルナルド・ベルトリッチ監督が若干三十歳にして撮った作品で、1972年12月に公開されると同時に世界中で「芸術かポルノか」という議論を巻き起こした。
〜 今を生きる人々の92のストーリー / WEB連載「92の短い長編小説」の全編版!! 〜 ローマの、ごくごく普通の市井のひとたち。 その一癖も二癖もある、バラエティーに富んだたくさんの登場人物たちを磨きぬかれた言葉で削ぎ落して描かれたショート・ショートのような短いストーリー。 「誰もが幸せになる 1日3時間しか働かない国」、「罪のスガタ」の著者シルヴァーノ・アゴスティの話題作!! 「監修者あとがき」より 僕が(あとがきで今さら言われても、という声も承知で)あえて提案したいのは、 これら物語の「服用」を、一日最大一話にとどめることである。速読や斜め読みなんてもってのほか。スローに行こう。いくら気に入った話があっても次に期待して先を急がず、読み終えた内容を頭の中に入れたまま一日を過ごしてみてほしい。あるいは夜を越えてみてほしい。そのストーリーの成分がじんわりと浸透するかもしれないし、しないかもしれない。物語というものが僕たちの心の薬だとして、それが効く効かない、合う合わないは別として、一度に過剰摂取するのはよろしくないのではなかろうか。そんな調子で、この本をぜひ長めにそばに置いてみてほしい。
〜 シチリアのレモンのような記憶の物語 〜 レモン… 黒い瞳 サルディーニャ人 純愛? 妄想・・・ 決して終わることのない錯綜する糸が休むことなく編み続けられ、 そして解かれながら、多くの運命、多くのエピソードが絡み合うストーリー。 そんなストーリーが、狡猾さと純真さを兼ね備えた、 生き生きとした登場人物たちにより展開される、愉快なイタリアン・コメディ! 1930年代、ファシズムが勝利を収めた穏やかな時代。 北イタリア、コモ湖畔の町ベッラーノ、カラビニエーレの分署では、ロカテッリ憲兵(ベルガモ人)の眼前で、マンヌ曹長(サルディーニャ人)とミスファッティ兵長(シチリア人)がお互いにライバル心を燃やしていた。 そこへ、「小柄で、ネズミ色のコートを着て、胃の辺りに絶えず両手でハンドバックを抱えた」独身老女が面会したいとやってきた。 彼女は、盗難を届けにきたのだ。 一銭の価値もない品物についての奇妙な捜査が開始されたが、この事件が、失踪した後に再び姿を見せた弟、銀行員、高利貸し、ファシスト政権、美女、司祭、密売人などが錯綜する過去を明るみに出すことになる・・・
〜 何が生まれる!? 〜 3つのたまごを授かった、アヒルと狼の夫婦。 実践的になりたい狼は、妻(アヒル)の代わりに自分がたまごを温めると言い出す。 生まれてくるまでの「待つこと」をテーマにしたストーリー。 【帯コメント】 わたしたちはみな希望という名のたまごを温めている 大切なのは、未来を想像し温め続けること 今を信じて待ち続けること 作家・寒竹泉美 【装丁】 シャルロット井上 【作品解説】 この物語のテーマは「待つこと」である。 著者が提案しているのは、「待つこと」がもはやできない現代人に対して、「待つことはそう難しいことじゃないし、そう悪いことでもない」ということである。「待つこと」、それはすなわち、つまり一瞬だけでもいいから立ち止まってみようとすること、そして一瞬だけでもいいから周囲をじっと静かに見渡してみること、一瞬だけでもいいから自分の心に問いかけ対話してみることである。そのような目に見えないくらい本当に小さな個人的な変化が、信じられないかもしれないけれど、実際に世界を動かす大きな変化への一歩になるのだということを、この愛らしい登場人物たちが繰り広げるおとぎ話風の物語の変遷は語っている。 その可能性を信じるも、信じないも個人の自由。でも私たちはそろそろ、その小さな個人の変化が潜在的に持っている大きな世界への影響力を信じなければならない時代に来ているのかもしれない。と、そんなことをあれこれ思索したりするのも、本書でいう「待つこと」の一部なのだろう。 「訳者あとがき」より (『君はだぁれ?』の続編、ですが新展開ですので本作品のみでも楽しめます!)
不気味な巨大船“ロブレド”を軸に展開される、生物と機械を巡る四つの物語。機械と生物が境界を越えて、互いを侵食する。機械部品は血肉と混ざり合い、肉体は毒に蝕まれて真鍮に変容していく。機械は毒薬によって死に、機械の命令で巨大な鳥が産んだ卵から生まれるのは機械部品。生物は金属に侵され、機械は生命の営みを行なう。砂の下に潜むのは屑鉄を食する奇妙な植物“錆喰らい”、そして勃発する機械と機械の戦い…イタリア賞、カシオペア賞受賞作品。