1990年4月3日発売
なぜ、建武の新政が暗礁に乗りあげたのか? 根本には、公卿は武家を蔑視し、武家は公卿を軽んじていたからである。それが端的に論功行賞に現れ、武家の不満は爆発した。武家は不平のやり場を尊氏に求めたが、この趨勢を心苦く思っていたのが、大塔ノ宮だった。尊氏を倒せ! その作戦は宮のもとで練られていた。北東残党の蠢動は激しく、宮には絶好の時かと思われたが……。 建武の新政が、早くも暗礁に乗りあげるーー公卿は武家を蔑視し、武家は公卿を軽んじる。それが端的に論功行賞にあらわれ、武家の不満は爆発した。武家は不平のやり場を尊氏に求めたが、情勢は混迷を深める。 ■建武らくがき帖(つづき) 今・道鏡 夕顔晩歌 男 山 毛抜き 初雪見参 北山手入れ 土の牢 ■風花帖 野分のあと 東景色 義貞・駁す 網引き地蔵 門 風 花 内裏炎上 小公子 第五列 魚見堂 筑紫びらき
一夜にして人間の評価が変るのが乱世の慣い。尊氏が“筑紫隠れ”の朝、新田義貞は、凱旋将軍として、堂上の歓呼をあびていた。左近衛ノ中将の栄誉、それのみでなく、後醍醐の寵姫・勾当の内侍を賜ったのだ。それにひきかえ、貴顕に生命乞いする佐々木道誉の鵺(ぬえ)ぶり。また、朝敵たる汚名は逃れたものの、尾羽打ち枯らした尊氏。しかし彼は、北九州に勢力を養い、反攻を意図する。 一夜にして人間の評価が変るのが乱世の慣い。尊氏が「筑紫隠れ」の朝、新田義貞は凱旋将軍として、堂上の歓呼をあびていた。--尾羽打ち枯らした尊氏であったが、北九州に勢力を養い、密かに反攻を企てる。 ■風花帖(つづき) 勾当の内侍 路頭の子 豆と豆がら ■筑紫帖 瘧 河内鞠唄 よそ者 昼の月 ひびき灘 菊池党 多々羅合戦 船あつめ 山海相聞 雨 期 ■湊川帖 面 別れ霜 献 言 桜井の宿 この半夜 日輪分裂