2005年6月7日発売
日本の植民地時代、樺太・真岡町まで流転していった一朝鮮人家族。愚哲は国民学校5年生のときに皇国少年として日本の敗戦を迎えるが、ソ連の侵攻後、一家はユダヤ人の協力を得て辛くもサハリンを脱出する。一族離散のこの体験と歴史の非情は、愚哲少年にはかり知れぬ罪意識を植えつける。在日朝鮮人としての自己形成がうまくいかぬこの未成年者と朝鮮戦争の勃発。戦後日本の、欺瞞と忘却の中で生きる愚哲の希望とは何か。 歴史の表面から消された樺太と、サハリンにおけるスターリン時代の朝鮮人の実存を、嘘泣き少年・愚哲の目をとおして奔出させた面白くて滑稽な、心を洗われる現代小説。 この現代小説こそ、大いなる人間の物語の復活である。 日本の植民地時代、樺太・真岡町まで流転していった一朝鮮人家族。愚哲は国民学校5年生のときに皇国少年として日本の敗戦を迎えるが、ソ連の侵攻後、一家はユダヤ人の協力を得て辛くもサハリンを脱出する。一族離散のこの体験と歴史の非情は、愚哲少年にはかり知れぬ罪意識を植えつける。在日朝鮮人としての自己形成がうまくいかぬこの未成年者と朝鮮戦争の勃発。戦後日本の、欺瞞と忘却の中で生きる愚哲の希望とは何か。
ローティーンの時期を経て成長した愚哲は、やがて札幌のある高校へ進学する。彼の特技は、失敗すること。けれども朝鮮戦争のあとさきに、哲学し行動するさまざまな友人や教師から生きる知恵をまなんで民族の自覚を目指すが、脆くも挫折していく。貧しい家庭の内部に渦巻く欲望と呪詛の根源を見据え、歴史の隠蔽と文化の掠奪を告示する重層的な文体。 「我輩は朝鮮人である」と初恋の人に告白する豚屋の息子、愚哲少年のみずみずしい思春期。 冷戦構造下の「戦後民主主義」の死角を「在日」の目をとおして検証し、戦後60年と未来を見つめようとする新しい知的営為。 ローティーンの時期を経て成長した愚哲は、やがて札幌のある高校へ進学する。彼の特技は、失敗すること。けれども朝鮮戦争のあとさきに、哲学し行動するさまざまな友人や教師から生きる知恵をまなんで民族の自覚を目指すが、脆くも挫折していく。貧しい家庭の内部に渦巻く欲望と呪詛の根源を見据え、歴史の隠蔽と文化の掠奪を告示する重層的な文体。労働する「愚哲」と「ぼく」との二人三脚は、日常生活と非現実の夢を紡ぎ、さり気ないユーモアとアイロニーの連続の中で展開されていく。地上に生きるすべての人へ、その眼差しは向かうが……。
進学校である松山東高校になんとか入学した悦子は、女子ボート部を設立し、初心者ばかりの仲間を集め、エネルギーをボートに注ぐ。「自分の居場所」を見つけ、張り切る悦子だったが、貧血と腰痛に見舞われ、大事な大会直前、ボートが漕げなくなってしまう。若さゆえの焦燥、挫折、淡い恋心・・・。「あの頃」を切ないまでに鮮烈に描く傑作青春小説。
16歳で家出した輝雅は、船員になり、米軍のLST(上陸用舟艇)で軍事物資を積んで東南アジア各地を航海し、ヴェトナム戦争前夜、激戦のハイフォン港へフランス軍の救助に向かう。船を降りて様々な職業を転々とする輝雅の胸には、いつしか「画家になりたい。ニューヨークへ行きたい」という願いがきざしていた…。『血と骨』を凌ぐスケールとダイナミズムで描く、戦後日本の不屈の青春。