ジャンル : 演歌・純邦楽・落語 > 落語・演芸
江戸を案内するはずの番頭が、逆に若旦那の善次郎に江戸の名所の由来を講釈されてしまう。ガチガチの堅物の若旦那が吉原の松葉屋瀬川と馴染みとなり、半年で八百両使い、ついに勘当される。その若旦那のもとに瀬川が郭を抜けてくる。73年12月の録音。
落語の中でも人情話の長編「双蝶々」を収録。悪態をつく子供や酔っぱらいを演じさせると圓生のうまさが光るが、この噺は格別の出来映え。当時の風俗描写や今では使われることが少ない温かみのある言葉まわしも趣がある。年輩の落語ファンなら必聴。
(1)は昭和33年、(2)は同34年、(3)は同27年のNHK音源。いずれも三代目金馬の代表作。アクの強さが目立つが、よく聴いてみると実に巧い人であったことが分かる。モノローグ(?)噺の(2)のダレないこと、そして(3)の江戸情緒の漂い……昭和の名人の1人だ。
昭和の古き良き落語を記録したシリーズで、ここでは八代目可楽の庶民的な噺を4編収録。酔っぱらいを演じれば名優だった可楽だけに、そのうまさとそこに漂う哀愁描写は見事だ。昭和20〜30年代の風俗もしのばれる好編集盤。モノラルだが録音状態は悪くない。
圓朝の名作といわれる『牡丹灯籠』を圓生が再構成し、生真面目にテキストのようにじっくりと語っている。何とも粋な「梅にも春」の一節を出囃子に使い、さらに[2]では幽霊ものだけに『御札はがし』の出囃子・送り囃子には「青柳」を使っている。
『圓正百席』もいよいよ佳境に入り、前作から「人情噺集成篇」となった。本作の「牡丹燈籠」は、巧みな人間描写が映える演目だ。圓正ならではの艶やかな描写が素晴らしい。圓正の人情噺は、圓正の十八番であるのと同時に人情噺の極めつけでもある。★
圓生百席もいよいよ大詰めに近づき、人情噺の大作が登場してきた。人物の演じ分けに細心の注意をはらった噺家だけに、ここでも遊人(圓生は“あすびにん”と正しく発音)はそれらしく、武士も階級によって口調を変える。そのあたりも意識して聴いてほしい。
オレは『らくごのご』を観る時はいつもざこばを応援してる。あのギリギリで踏んばる苦しみ方がいいもん。鶴瓶はだいたい最初から逃げに入ってるからなあ。この2編からもそんな彼のウソのない魅力が伝わってきます。しかし、ざこばっていい名前だよな。
南光のしゃがれ声と河内訛りが生き生きとした「はてなの茶碗」での油屋の口調が、誰にもありそうな際限のない欲深さを面白く出している。「青菜」での大家の旦那と植木屋のやり取りが絶妙。女房の顔を思い出しただけで汗が出る長屋の夏の暑さが見える。
このなかでは(2)が大好き。キョーフの知ったかぶり隠居の、はげしいこじつけがもうめちゃ面白いわけだが、それがこの圓生が実にもううまいのだ。こういう嫌みな奴をやらせると圓生の右に出るものはいない、と言ってしまおう。もち(1)も(3)も文句はない。
人間がお狐様になりすまし、人を騙す「紋三郎稲荷」。侍と船頭の演じ分けが小気味よい、欲深かな船頭の夢物語を枯れた口調で語る「夢金」。大ホラ吹きの「彌次郎」は勢いというかテンポが勝負の噺で、四季がゴチャ混ぜの庭の描写など豪華絢爛である。
圓生という超ベテランの味が堪能できる本シリーズの中でも、まさに通好みの2編を収録したスタジオ録音盤。どちらかと言えばメリハリのない噺の「山崎屋」は、絶妙の人物描写で語る圓生の真骨頂。「湯屋番」も下品に聞こえない口調はさすがの噺っぷりです。
お馴染み、六代目・三遊亭圓生の古典落語をダイレクトに収録した『圓生百席』シリーズ。45作目となる本編には、75年4月26日に収録した「淀五郎」と、同じく75年7月2日に収録した「らくだ」をカップリング。その迫力ある語りをぜひ味わってほしい。
全国禿頭カンケイ諸兄の友、雀三郎(金萬福サンにも似てる)が師・枝雀直伝の顔芸を交えて演じる二題。さすがに「天王寺詣り」は松鶴の印象が強すぎて物足りず、現代口語との駆け引きもいささか苦しいが「口入屋」は立派に自分のネタに仕上げている。