1990年発売
三代目・桂三木助が死ぬまで守り続けた“美学”を感じとりたいなら、やはり「芝浜」を聴くしかない。“江戸前”の味を精魂かたむけて追究した、その成果がここにある。ただ、その三木助美学に心をひかれるか、反発を感じるかは、もちろん聴き手の自由だ。「三井の大黒」は昭和35年11月の収録。その二ヶ月後に黄泉へ旅立った。つまり、最後の高座がこれというわけだ。さすがに辛い。
三笑亭可楽の落語に、どうもなじめなかった。子供の頃の話だ。渋さなんていうものが理解できるようになってから、この人の芸が少しずつ面白くなった。もっとも、今だってどこまで“渋さ”がわかっているかは……。それはさておき「うどんや」「反魂香」などは、この人でなければ、と思う。「らくだ」は迷うなあ。志ん生もあるし。それにしても不思議な味を持った落語家だった。
ひとつの噺を高座にかけるまで、三年以上もかけたという。ノートにきっちりとストーリーを書き、添削を重ね、ようやくあの格調高い“文楽の芸”が完成したのだ。いわば、完成品のみを提供し続けたわけだ。その結果が29席の持ちネタとなった。やはり、なんといっても『明烏』だろう。文楽をしのぐ『明烏』は、まず当分あれわれないと思う。それくらい完成された、至極の芸なのだ。
これだけまとめて先代・金馬が楽しめるなんて、実になんともケッコーですな。(七)(八)など、ファンには最高のプレゼントだろう。もちろん、きわめつけ『居酒屋』は何回聴いても笑わせてくれる。「兜正完?□頭へ来そうな酒だな」とやって、実在する同名のメーカーからクレームをつけられた、なんて話を聞くとますますおかしさが増す。ガンコに生き抜いた江戸っ子の味がいい。
“お結構の勝ちゃん”とあだ名をつけられたことからもわかるように、アクの強さで聴き手に印象を残す、というタイプではない。いかにも“寄席芸人”といった感じの「何気ない粋」の世界を歩んだ人だった。寄席というのは演者と客が一体となって、ひとつの世界をつくりあげる場であり、そこにぴったりハマるというのは、これはもう芸人としてある意味では極到に行きついたといえる。