著者 : 乙川優三郎
気がつくと、酒と女性と言葉に淫し、まだ書けることに豊かな生を見出すようになっていた。文章を磨くことは、ふさわしい言葉をみつけてふさわしい場所に置き、美しい流れを作ることであった。書くこと自体が彼の中では大いなる冒険であった。書くことへの飽くなき飢えを貫いたひとりの男の物語。
美しいものを生む。ただそれだけ。女性を愛し、芸術に淫しながら、生きることの重さを忘れずにいる男。美を追求し続け、闘い、ついに見出したのは…。本当の自分を知りながら、流れてゆく人間の葛藤を細やかに描き上げた逸品。名手が紡ぐ書き下ろし長篇小説。
日本とフランスに別れて暮らし、年一回だけの対面を続ける夫婦だったが…(『1/10ほどの真実』)。ゆきつけのバーで憎からず思っていた女性バーテンダーの転職を見守る男(『闘いは始まっている』)。義兄の葬儀で、昔一度だけ関係を持った女と出会い、思い出した夏の記憶(『蟹工船なんて知らない』)。還暦過ぎの女友達二人。片や平凡な結婚人生を送り、一方は離婚して独り身(『パシフィック・リゾート』)。墓地で偶然再会した男女は、かつて短い間交際したアイドル歌手同士だった(『くちづけを誘うメロディ』)。リタイア後の人間ドックで要再検査となり、急に不安を覚える夫と冷めた妻(『安全地帯』)。定年間近の独身男が、結婚相手に求めた子持ちの女性と酒杯を重ねるうちに(『六杯目のワイン』)。出張先で夫が客死して十年。娘も成長し、自らも求婚相手が現れ転機を迎える(『あなたの香りのするわたし』)。仕事で家庭を顧みない夫に対し、久しぶりに出かけた旅先で妻が下した決断(『海のホテル』)。人生の黄昏を迎える人々に光を当てた9つの物語。
房総半島に工房を構える若手女性染色家、レイ・市東・ヴィラセニョール。父から継いだフィリピンの血と母からの日本。鮮烈な色が評価され始めた矢先、父は病身をおして祖国へ帰ると言いだす。何が彼を駆り立てるのか。染色の可能性を探求し、型にはまった「日本らしさ」に挑むレイが、苛酷な家族の歴史を知ったとき選択した道とは。美しく深みのある筆致で女性の闘いを描き出す傑作長編。
その旅は聖地のない巡礼であった。高橋光洋の古い記憶のフィルムがまわりはじめる。終戦後の混沌と喪失、漂泊したパリ、マラガ、マニラの日々、死線を越えてからの小説家デビュー…。
「完璧に美しい小説」があった。もう一度見せて欲しい、あの不敵な美しさを。南洋パラオの出会い、書評家と円熟期の作家、傍らにカクテルグラス。文芸の極みと女の旅。成熟の世界を描く記念碑的長篇。
1980年、大学のキャンパスで弘之と悠子は出会った。せっかちな悠子と、のんびり屋の弘之は語学を磨き、同時通訳と翻訳家の道へ。悠子は世界中を飛び回り、弘之は美しい日本語を求めて書斎へ籠もった。二人は言葉の海で格闘し、束の間、愛し合うが、どうしようもなくすれ違う。時は流れ、55歳のベテラン翻訳家になった弘之に、ある日衝撃的な手紙が届く。切なく狂おしい意表をつく愛の形とは?第23回島清恋愛文学賞受賞作!
あの日、私はあと十五分も土手でぼんやりしていたら、津波に呑まれていたかもしれない。奇跡のような十五分に恵まれた自分と、そうでない人とを比べて思うー。福島県の実家で震災に遭遇した女性の実人生に基づく表題作をはじめ、ままならない人生を直視する市井の人々を描いた大人のための名品14篇。芸術選奨文部科学大臣賞受賞作。
ようやく築いた生活とジャズの夢を奪われるマーキス/アメリカ。大切な人生の仲間と自負を失うワイン農家のホセ/スペイン。銃をとり、人買いの手から娼婦の妹を守るマルコ/フィリピン。北米、ヨーロッパ、アジアの国々の参戦、そして日本。地球規模のパワーゲームが私たちに強いるであろう決断と残懐。小説には力があると信じられる12篇!
房総半島の海辺にある小さな街で生きる場所を探し、立ちつくす男と女。元海女、異国の女、新築に独り暮らす主婦、孤独なジャズピアニスト。離婚後に癌を発症した女は自分で自分を取り戻す覚悟を決め、ヌードモデルのアルバイトを始めた郵便局の女は、夜の街を疾走する…。しがらみ、未練、思うようにならない人生。それでも人には、一瞬の輝きが訪れる。珠玉としか言いようのない13篇。
上海留学中に応召し、日本へ復員する列車の中で、矢田部は偶然出会った小椋に窮地を救われる。帰郷後、その恩人を探す途次、男が木地師であることを知った矢田部は、信州や東北の深山に分け入る。彼らは俗世間から離れ、独自の文化を築いていた。山間を旅するうち、矢田部は二人の女性に心を惹かれ、戦争で失われた生の実感を取り戻していく…。大絶賛を浴びた著者初の現代長編。
くるりとした大きな目と赤い頬、六歳の義妹・花哉は魚の“喜知次”を思わせた。五百石取り祐筆頭の嫡男・日野小太郎に妹ができたころ、藩内は派閥闘争が影を落していた。友人の牛尾台助の父は郡方で、頻発する百姓一揆のため不在がちという。鈴木猪平は父親を暗殺され、仇討を誓っている。武士として、藩政改革に目覚めた小太郎の成長と転封の苦難、妹への思慕をからめて描く清冽な時代長篇!
老いた海女、落魄のピアニスト、ライムポトスと裸婦、家に辿りついた異国の女…。房総半島の小さな街で何かを見つけ、あるいは別れを告げようとしている男と女たち。夕闇のテラス、シングルトーンの旋律…。歓楽の乏しい灯りが海辺を染める頃、ありえたかもしれない自分を想う。『脊梁山脈』で「戦後」を描き、大佛次郎賞に輝いた著者の「現代」小説。