著者 : 林京子
自我の揺らぎ、時空間の拡張、境界線の認識…。これまでにない人間像と社会の変容を描くべく、作家たちは世代を超えてさまざまな実験を展開し、編集者たちは意欲的な試みを掲載した。創刊から四半世紀を迎え、進みつづけた『群像』は、「戦後文学」の豊饒な沃野となってゆく。第二弾は昭和後期から平成にかけての十八篇。
昭和二十年、長崎の兵器工場動員で奪われた女学生達の青春。やがて作られた報告書には「不明」の文字がならんでいた。消えてしまった「生」の記録を日記・資料を基に綿密に綴った事実の被爆体験。無数の嘆きと理不尽さ。その年の五月から原爆投下の八月九日までの日々を、忘れないように、繰り返さないように、という鎮魂の願い。林京子の原点でもある谷崎潤一郎賞受賞作。他「道」を収録。
八月九日にすでに壊された「私」。死と共存する「私」は古希を目前にして遍路の旅に出る。「私」の半生とは一体何であったのか…。生の意味を問う表題作のほか、一九四五年七月世界最初の核実験が行なわれた場所・ニューメキシコ州トリニティ。グランド・ゼロの地点に立ち「人間の原点」を見た著者の苦渋に満ちた想いを刻す「トリニティからトリニティへ」を併録。野間文芸賞受賞。
村田風子は女学生の時、8月9日に被爆した。終戦から5年後の1950年20歳の風子は、大阪の「中国研究会」に就職。その小さな編集室に光あふれる風子の青春があった。人妻と愛人関係にある編集長をはじめ、過去を背負いながら戦争を生きぬいてきた人達の生の輝きと静かな死…。還暦を迎えた風子は、あの日の自分の心を確認するために再度旅にでた。青春の光と影を描く自伝的長編小説。
昭和二十年五月から原爆投下の八月九日までの日々-。長崎の兵器工場に動員された女学生たちの苛酷な青春。一瞬の光にのまれ、理不尽に消えてしまった〈生〉。記録をたずね事実を基に、綿密に綴った被爆体験。谷崎潤一郎賞受賞作「やすらかに今はねむり給え」のほか恩師・友人たちの最期を鮮烈に描いた「道」を収録。鎮魂の思いをこめた林京子の原点。
屈託のない上海時代に「とうさま」と呼ばれた父は戦後、失職し権威は崩壊した。母の名前を呼び続け父は死んだ…。私にも母にも懐かしいその父はいま山頂の墓地を離れロッカー式納骨堂に静かに眠る。14歳の夏長崎で被爆した私の生と死の現実を描く短編集。
原爆投下から30数年、〈女〉は長崎を訪れた。坂の上の友人の家で、人々と取止めない話を交しながら死んでいった友たちや、14で被爆した自らの過去を回想する。日々死に対峙し、内へ内へと篭り、苦しみを強いられ生きる被爆者たち。老い。孤独。人生は静まり返っているが体験を風化させはしない。声音は低く深く響く。原爆を凝視する著者が被爆者の日常を坦々と綴る名篇。
如何なれば膝ありてわれを接しやー。長崎での原爆被爆の切実な体験を、叫ばず歌わず、強く抑制された内奥の祈りとして語り、痛切な衝撃と深甚な感銘をもたらす林京子の代表的作品。群像新人賞・芥川賞受賞の『祭りの場』、「空缶」を冒頭に置く連作『ギヤマンビードロ』を併録。