著者 : 永井荷風
鶴屋南北、喜多川歌麿、葛飾北斎、曲亭馬琴、山東京伝、十返舎一九……。名手四人の小説と関連作品の図版で、2025年NHK大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」の時代をより深く知る! 版元蔦屋重三郎がある日銀座の京伝の住居(すまい)をさも忙(せわ)しそうに訪れた。 「おおこれは耕書堂(こうしょどう)さん」 「お互いひどい目に逢いましたなア」 蔦屋は哄然(こうぜん)と笑ったものである。(…) 「身上半減でこの蔦屋もこれ迄(まで)のようにはゆきませんが、しかしこのまま廃(すた)れてしまっては商売冥利(みょうり)死んでも死なれません。そこでご相談に上りましたが、今年もいよいよ歳暮(くれ)に逼(せま)り新年(はる)の仕度(したく)を致さねばならず、ついては洵(まこと)に申し兼(か)ねますが、お上のお達しに逆らわない範囲で草双紙をお書き下さるまいか」 余儀ない様子に頼んだものである。--国枝史郎「戯作者」より 吉川英治「大岡越前」(抄録) 邦枝完二『江戸名人伝』より「鶴屋南北」「喜多川歌麿」「葛飾北斎」「曲亭馬琴」 国枝史郎「戯作者」「北斎と幽霊」 永井荷風「散柳窓夕栄(ちるやなぎまどのゆうばえ)」(抄録)
祭典と騒乱の記憶から奇妙な国の歴史を浮かびあがらせる「花火」、エロスの果てに超現実を垣間見せる「夏すがた」、江戸情調を文章に醇化した戦前の小説、随筆を精選した。「来訪者」は、戦中に執筆、終戦直後、発表の実験小説。贋作問題と凄愴の趣を込めた男女の交情に、「四谷怪談」や夢の世界が虚実相半ばして交響する問題作。
昭和10年代の東京を舞台にして、ヒロインの起伏にとんだ日々を描いた『浮沈』、浅草の若い女性が逞しく生きる姿を活写した『踊子』。「蟲の声」「冬の夜がたり」「枯葉の記」は、散文詩の如き小品。戦時下に執筆され、終戦直後に発表、文豪の復活を告げた。時代をするどく批判した文学者・荷風による抵抗の文学。
永井荷風は大正九年五月、東京・麻布市兵衛町に居を移し、以来、洋館「偏奇館」に二十五年暮らした。本書は彼の地で執筆した短篇小説「雨瀟瀟」「雪解」、随筆「花火」「偏奇館漫録」「隠居のこごと」など全十四編を収める。抒情的散文の美しさを伝える作品集。「自選荷風百句」を併録する。
にわか雨に傘をひらき、慌てふためく街のさまを見ながら歩きかけると、結いたての潰島田の頭を入れてきた女がいた。わたしとお雪の出会いであったー。私娼窟が並ぶ向島の玉の井を訪れた小説家の大江匡は、かすかに残る江戸情緒を感じながら彼女のもとへ通うようになる。移ろいゆく季節と重苦しい時代の空気の中に描き出される、哀しくも美しい愛のかたち。永井荷風の最高傑作が、文字が読みやすく解説の詳しい新装版で登場。
明治四一年、自然主義の文壇を一撃、魅了した短篇集。シアトル着からNY出帆まで、文明の落差を突く洋行者の眼光と邦人の運命が点滅する「酔美人」「夜半の酒場」「支那街の記」-近代人の感性に胚胎した都市の散文が花開く。『ふらんす物語』姉妹篇。
明治四〇年七月、二七歳の荷風は四年間滞在したアメリカから憧れの地フランスに渡った。彼が生涯愛したフランスでの恋、夢、そして近代日本への絶望ー屈指の青春文学の「風俗を壊乱するもの」として発禁となった初版本(明治四二年刊)を再現。
母を常磐津の師匠に、伯父を俳諧の宗匠に特つ中学生長吉の、いまは芸妓になった幼馴染お糸への恋心を、詩情豊かに描いた『すみだ川』。また花柳界に遊んだ作者が、この世界の裏面をつぶさに見聞しみずからも味わった痛切な体験を、それぞれ独立した小篇に仕立ててなった『新橋夜話』のほか、『深川の唄』を加えて1冊とした。
小説「失踪」の構想をねりつつ私娼街玉の井へ調査を兼ねて通っていた大江匡は、娼婦お雪となじむ。彼女の姿に江戸の名残りを感じながら。-二人の交情と別離を随筆風に展開し、その中に滅びゆく東京の風俗への愛着と四季の推移とを、詩人としての資質を十分に発揮して描いた作品。日華事変勃発直前の重苦しい世相への批判や辛辣な諷刺も卓抜で、荷風の復活を決定づけた名作。
取材のために訪れた向島は玉の井の私娼窟で小説家大江匡はお雪という女に出会い、やがて足繁く通うようになる。物語はこうして〓東陋巷を舞台につゆ明けから秋の彼岸までの季節の移り変りとともに美しくも哀しく展開してゆく。昭和12年、荷風(1879-1959)58歳の作。木村荘八の挿絵が興趣をそえる。