出版社 : 岩波書店
太宰治が短篇の名手であることはひろく知られているが、ここに収めた作品は、いずれも様々な題材を、それぞれ素材にふさわしい手法で描いていて、その手腕の確かさを今さらのように思い起こさせる。命を賭した友情と信頼の美しさを力強いタッチで描いた「走れメロス」をはじめ、戦前の作品10篇を集めた。
美貌の青年ドリアンが人知れず罪を犯してもどった夜、彼の肖像画は奇怪にも口許に残忍な微笑を浮べていた。快楽にふけり醜さを加えてゆく彼の魂そのままに、肖像は次第に醜悪になってゆく。-美貌と若さを保ちつづける肉体の恐ろしい姿に変貌する魂との対比を主題に、ワイルド(1854-1900)がその人生観・芸術観・道徳観をもりこんだ代表作。
Kについてはごく平凡なサラリーマンとしか説明のしようがない。なぜ裁判に巻きこまれることになったのか、何の裁判かも彼には全く訳がわからない。そして次第に彼はどうしようもない窮地に追いこまれてゆく。全体をおおう得体の知れない不安。カフカ(1883-1924)はこの作品によって現代人の孤独と不安と絶望の形而上学を提示したものと言えよう。
イワンのばかとそのふたりの兄弟 小さい悪魔がパンきれのつぐないをした話 人にはどれほどの土地がいるか 鶏の卵ほどの穀物 洗礼の子 三人の隠者 悔い改むる罪人 作男エメリヤンとから太鼓 三人の息子 解 説
日本を終生愛してやまなかったハーン(一八五〇-一九〇四)が我が国古来の文献や民間伝承に取材して創作した短篇集。有名な「耳なし芳一のはなし」など、奇怪な話の中に寂しい美しさを湛えた作品は単なる怪奇小説の域をこえて、人間性に対する深い洞察に満ちている。
表題作のほかに「秋の徒歩旅行」「少年時代から」「ラテン語学校生」の3篇をおさめる。これらは地理的にも心の上でも若きヘッセの「ふるさともの」といもいうべき作品であり、郷土にたいする深い愛とその片隅に生きる細やかな魂たちのあこがれや悩みや悦びが清澄なリリシズムで描きだされている。
これをしも恋愛小説というべきであろうか。発端の1章を別とすれば続く2章だけが恋と誘惑にあてられ、残る7章はすべて男が恋を獲たあとの倦怠と、断とうとして断てぬ恋のくびきの下でのもがきを描いている。いわば恋愛という「人生の花」の花弁の一つ一つを引きむしり、精細に解剖しようというのだ。近代心理小説の先駆をなす作。
ここに収められた五つの短篇はトルストイ(1828-1910)晩年の執筆になるもの。作者はこの時期いちじるしく宗教的・道徳的傾向を深めていた。そして苦悩に満ちた実生活を代価としてあがなったかけがえのない真実が、幾多の民話となって結晶していったのである。これらの作品には、素朴な人間の善意にたいする確かな信頼が息づいている。
「芸術の使命は自然を模写することではなくこれを表現することにある」という信念をいだいて一つの作品に十年の精進をささげた老画家が、限りなき理想と限りある人間の力量との隔絶に絶望し、ついに心血を注いだ画布を焼きすてて自殺する経緯を描いた「知られざる傑作」をはじめ『人間喜劇』からえりすぐった6つの短篇を収める。
一地方官の娘として育った作者が、父につれられ京へ上る時の紀行から始まり、『源氏物語』を手にして「后の位も何にかはせむ」と、几帳の蔭で読み耽った夢みがちの少女時代、そして恋愛、結婚、夫との死別、50代のわびしい一人住いを綴って日記は終っている。全盛期の平安時代が次第に翳りをおびてくる、そうした社会に生きた一人の女性の記録。
子供時代に胸躍らせたジム少年の冒険談も、あらためて読み直してみると、シルヴァー船長以下、一癖も二癖もある様々な登場人物に、『ジーキル博士とハイド氏』の作者スティーヴンスン(1850-94)の人間観察の眼が感じられ、物語に一段と奥行きと魅力が増してくる。宝探しという永遠のロマンに、さあ新たな船出をしよう。