出版社 : 河出書房新社
ボーイはメイル夫妻に拾われた実在の犬である。素姓も知れぬ野良犬だったが、すぐに特異な才能を発揮し始め、同家の看板ともいうべき存在となった。本書は、ピーター・メイルが愛犬ボーイの口を借りて人間と現代社会を思う存分に論じた文明戯評である。イギリス的ユーモアと辛辣な観察に満ちた抱腹絶倒の物語でもある。全米一のイラストレイターの挿絵も話題。
良之助と千代は隣家同士。幼い頃より、兄妹のように慕い合い、二十二歳と十六歳になった今も、その無邪気な仲は変わらなかった。ある縁日の日、二人仲良く歩くところを、「おむつましいこと」と一言、学校の女友だちにからかわれる。その日より、やがて千代は病いに臥すことになる…。初めての熱い思い。少女はそれを恋とも呼べず、ひとり死へ赴いてゆく。処女作「闇桜」の他、「うもれ木」「雪の日」「ゆく雲」「うつせみ」を収録。
おっとりした姉・可季子と重い病いを抱えながらも、のびやかな妹・鱈子さん。父母姉妹での穏やかな生活に、父の病いという思わぬ波紋が広がり…。家族という日常の不思議と夢のリアリズムを静穏な筆で描いた三島賞受賞作。
絶え間ない父母の諍いをなす術なく見つめる子供。自閉症の子供を通し、親子の関係をあらためて問う父親。父親のない子を森の中でひっそりと育てる女。女友達の妊娠の知らせに揺れる少年…。親と子、そして男と女の視線から、生命の永遠の姿を浮き彫りにする鮮烈な作品集。
ピノッキオは、ジェッペットさんのこしらえたあやつり人形。口をきいたりおどったりできるふしぎな人形ですが、いたずら好きでなまけもの。お話しするコオロギや空色の髪の妖精、船をも丸ごと飲みこむ大きなフカなどにであう大冒険の末、人間の子どもになれるでしょうか。十九世紀のイタリアでうまれ、世界中で愛されている児童文学の名作。
『太陽がいっぱい』で人気を博したハイスミスの「トム・リプリー・シリーズ」の一作。暗黒世界を飄々と渡り歩く自由人、トムに執着するフランク少年。ふたりの奇妙な出会いは、「父親殺し」を軸に急展開する。少年を破滅から救おうとトムは奔走するが…。犯罪が結んだ、男と少年の危険な関係を描くハイスミス晩年の力作。
ロンドン郊外の田舎町に暮らすベネット家には年頃の五人姉妹がいた。ある日の舞踏会で長女ジェインは近所に越して来た青年ビングリーと互いに惹かれ合う。一方、次女エリザベスは、資産家の美男ダーシーに出会う。彼の態度は高慢だったがそう見えたのはエリザベスの偏見にすぎぬのか。
ことばで生きるものの迷いと悲しみ。彼女のあとについて歩くような文章を書いてみたい、そんな意識が、すこしずつ私のなかに芽ばえ、かたちをとりはじめた…20世紀フランスを代表する文学者ユルスナールに魅せられた筆者が、作家の生きた軌跡と自らのそれを幾重にも交錯させて紡ぎだす待望の長編作品。
大学を出て七年、三十歳を過ぎた西村は、平穏な職場と家庭を捨て、書きためた原稿を抱えて昔の友人たちの前に現れる…革命の理念のもと、警官隊との激突、火焔瓶闘争、ハンスト、党派抗争、リンチ事件と激動の青春時代を共にした旧友たちは、いま何を考え生きているのか。
あのひとが何年もまえに死んだと人づてに聞いた。「…」あの中国の男の死、あのひとの身体の死、あのひとの肌、あのひとのセックス、あのひとの手の死が起ころうなどとは想像もしていなかった。-その知らせを契機にデュラスは『愛人』で語られた物語を根本的に考え直す。狂おしいほどの幸福感とともに書きすすめられたのが、もうひとつの“愛と死の物語”『北の愛人』なのである。
古典主義とドイツ・ロマン派のはざまで三十四年の凄絶な生涯を終えた孤高の詩人=劇作家クライスト…。カタクリスム(天変地異)やカタストロフ(ペスト、火災、植民地暴動)を背景とした人間たちの悲劇的な物語を、完璧な文体と完璧な短篇技法で叙事詩にまで高めた、待望の集成。貴重なエッセイ二篇を付し、今はじめてこの天才作家の全貌が明らかとなる。