1990年8月発売
町かどのポストのそばのミカン箱。ジムじいさんはいつもそこにすわっていました。通りに住む少年デリーは、若い頃船乗りだったジムの、奇想天外な冒険談に胸を躍らせます。-8歳の少年と80歳の老人の間に芽生えた友情を、新鮮な着想とあたたかいユーモアで描いた、楽しく優しい物語。
豊満で美しい継母ルクレシアの入浴姿を天井から覗き見る幼いアルフォンソ。耳や鼻など体のすみずみを磨きあげることに偏執的な喜びを見出している父親リゴベルト。ギリシア悲劇風の物語を織りまぜながら、少年の倒錯した心理、肉欲が昇華したエロス的世界を描く問題作。
後醍醐帝が理想とされた王政復古成り建武新政が始まったが、肝腎の戦後処理に失敗して活気がない。むしろ不平不満が溢れている。北条の残党が各地に決起し鎌倉を奪回、直義は敗走。弟を助けに急行した尊氏には逆賊の汚名が。二人天皇のいずれが正統なのか。尊氏は逆賊で正成は忠臣か?人間の業、権力の魔性故に欲望が狂い踊る無限の暗黒時代をかき探る。
権力か恋か。野心と欲望渦巻くチューダー王朝の絢爛たる王宮を舞台に、運命に抗って激しく生きた〈六本指〉の王妃アンー栄光と断罪の数奇な生涯を、宗教改革に揺れる時代相の下に描き出す。
記号論学者U.エコが『バラの名前』の次に放った『フーコーの振り子』はオカルト小説の体裁で観念の世界に挑戦したものだけに、その難解さは想像を絶するものがある。M.ターラモの手際よい解剖は、迷宮に踏み込む人たちの好伴侶となろう。原作について初めて解釈を試みた気鋭の学者T.シュタウダーの論文をも併録。
今、世界に狂気と残虐の時代が訪れようとしていた。百年前、狂王トレボーの差し向けた“冒険者”の手により生命を断たれ、地下迷宮の奥深くへと封印されたはずの大魔道師ワードナが蘇ったのである。求めるは強大な力を秘めた“魔法の魔除け”。昏黒の情念と不変の欲望に、迷宮の守護者たちは次々と生命を奪われてゆく。そして、精神の飢餓と肉体の窮渇の果てにワードナは、カドルト神の真の姿を見ることになるのだが…。
都内では珍しい大邸宅の離れを格安で借りた二人のOLに、意外な運命の扉が開く…。夜ごとに深まる性戯の深淵に蠢くものは何であったか?永遠のミステリー“悪女とは何か”の本質に迫る、人気急上昇中の才媛作家新津きよみの長編書下ろし問題作。
一糸まとわぬ裸にされ、天井からロープで吊るされた女は、凶悪な2本の男根をつきつけられ、思わず股間を濡らしていく-。立位のまま前後から突きたてられた女は、妹の見ている前にもかかわらず、歓声をあげて、とめどない絶頂感を味わっていた。SM界の鬼才・佳奈淳が贈る官能被虐傑作小説集。
古い城下町の野外劇場で行われる奇妙な「カメラ・オブスキュラ」、こっくりさんの不気味な予言、そして高校の文化祭での血塗られた惨劇…。邪教「白神教」の影の価に、「ぼく」と良子は謎めいた老人の《チベット紀行》に導かれて、水族館の地下へと…。恐るべき《闇の力》に翻弄される若者たちの運命を気鋭の幻想文学研究家が、渾身の力をこめて書き下ろした衝撃の青春サイキック・ノベル。
義経が牛若といって鞍馬にあったころ、同じ源氏の血をうけて、十八公麿(後の親鸞)は生れた。平家全盛の世である。落ちぶれ藤家の倅として育った彼は、平家一門のだだっ子寿童丸の思うままの乱暴をうけた。彼は親鸞に生涯つきまとう悪鬼である。9歳で得度を許された親鸞の最初の法名は範宴。師の慈円僧正が新座主となる叡山へのぼった範宴を待っていたのは、俗界以上の汚濁であった。
大盗天城四郎の魔手から玉日姫を救い出したのは、範宴である。その日から範宴はもの想う人となった。甘ずっぱい春の香りは、払えども払えども、範宴を包む。禁断の珠を抱いて、範宴はみずからおののく。京の夜を煩悩に迷い狂う範宴!追い討つように、山伏弁円は彼に戦いを挑む。信仰の迷いに疲れた範宴は、このとき法然を知る。奇(く)しき法然との出合い。親鸞の大転機であった。