2000年発売
主要な三人の登場人物の長い独白の聞き手は、一般的な人物である。彼らにはそれぞれの常識があって、ヤザキとカタオカケイコとレイコにはそれが欠落している。常識というのは、その人間が準拠することができる情報の体系のようなものだ。三人の独白を聞くことによって、聞き手の常識は揺さぶられる。そして、独白には救済という機能がある。わたしたちは謎を吐き出すことによって、救済されることがあるのだ。
この巻に収められた三つの長編は、ある種の逸脱と自己循環にあふれている。わたしは物語が逸脱し自己循環に陥る瞬間を憶えている。逸脱と自己循環は、無意識との回路とやりとりを調整するために必要なのだとわたしは思う。無意識の領域に眠っているのは言葉ではない。映像だ。言葉の組み合わせは映像を喚起させる。その映像が無意識下にあって、それを探っているときに逸脱への契機が生まれる。探り当てたとき、自己循環のきっかけが示される。
八世紀。陸奥は日高見川のほとりで、ひとりの男の子が産声を上げた。「アテルイ」と名付けられたその子が十八歳になったとき、金の産出と蝦夷征伐を目的に、大和朝廷の陸奥支配は本格化する。坂上田村麻呂を征夷大将軍にすえ、卓抜した戦力を誇る朝廷軍。一方、自然を愛し平穏に暮らす蝦夷の人々。民族の誇りと未来をかけて、今、アテルイが立ち上がる。
87分署のすぐそばの公園で若い娘の絞殺体が発見された。キャレラは娘がメアリーという修道女だと突きとめるが、不審な点が次々と浮かんだ。修道女だというのに豊胸手術を受けていたこと、質素な生活を送っていながらいつも金銭的に困っていたこと…敬虔で看護婦としても優秀だったメアリーには驚くべき秘密が?一方、マイヤー・マイヤーたちは、犯行後にクッキーを置いておくことから“クッキー・ボーイ”と呼ばれる空巣の捜査に追われていた。そして誰も知らないところでは、キャレラの父親を殺した男が密かにキャレラの命を狙っていた。
年一回のバザーの準備中、アニーの友人の女性が失踪した。心配で胸がいっぱいのなか、バザーの運営メンバーが撲殺体で発見され、当の女性に殺人の容疑が!なぜ彼女が殺人現場に?被害者が残したメモをもとに、アニーは町の住民の秘密を探るが…友人の無実を信じ、ミステリの知識を駆使してアニーが謎に満ちた殺人の真相に挑む、好調シリーズ第九作。
かつては共産主義者の同志として、そしてなによりも深い愛情で結びついていた夫婦バーナードとジューン。なぜ、彼らは突然破局を迎えたのか?私は義理の両親にあたる二人の人生に強い興味を抱き、回想録にまとめるため、独自に真相を探りはじめた。二人から話を聞くうち、やがて彼らが袂を分かった背後に“黒い犬”の存在があったことが判明する。犬の姿を借りた“悪”に出会い、すべてが変わったと主張するジューン。悪の象徴など、ジューンの妄想にすぎない、と一笑に付すバーナード。“黒い犬”は実際に存在したのか?それともジューンが生みだした想像の産物なのか?私は彼らの人生を影のように覆う“黒い犬”の真実を追究するが…。ヨーロッパ戦後思想史を背景に、鬼才が夫婦の魂と愛の軌跡をサスペンスフルに描く。イギリスでベストセラーを記録した、ブッカー賞作家による注目の長篇。
餓死するか、盗人となるか。極限に追いこまれた青年の心理と行動から、善と悪の相対性を描いた「羅生門」、自らの芸術のために実の娘を焼き殺してしまう天才絵仏師の狂気を描いた「地獄変」の、表題作二作品のほか、「今昔物語」に着想を得た“王朝もの”を中心とした芥川の代表的中・短篇八作品を収載。「新撰クラシックス」シリーズ、第八作。
その女が、「私」の祖父・村松梢風と暮す鎌倉の家には、独特の空気があった。放蕩三昧の梢風を「文士」に仕立てあげながら、その女は年齢や経歴を様々に偽り、虚構の人生を縦横に紡ぎだしていたのだから。その姿はいつしか、実母は死んだと言い聞かされ、梢風の正妻である祖母と二人きりで育った「私」自身の複雑な生い立ちと、どこかで微妙に交錯し始めた…。泉鏡花文学賞受賞。
なぜ私の世界には光が差し込まないのー。様々な言葉や音楽、そして匂いがアンジュの世界を創造する表題作。伊東君ち、クルド人ゲリラのテント、そしてマサイ族と、世界中を飛び回る「茶の間を旅して」。営業成績抜群の豊臣秀吉に蔑まれ、得意先の徳川家康社長のもとに日参する、サラリーマン明智光秀の物語「カタストロフの理論」。ある日起きると鼻でモノを見ていた「奇蹟の鼻」など、九編を収録。
予備校講師をしている結城可那子のもとに突然、弟のバイク事故死の知らせが届いた。バイクは盗難車、死亡時に大金を持っていたなどの点に不審を抱いた可那子は、事故直前の弟の足取りを追う。浮かび上がる謎の美女の影。その背後にはいったい何が?現代日本を生きる男女の不安と心の渇き、そこに付け入る社会の悪意をみごとに活写したデビュー作。新潮ミステリー倶楽部賞受賞。