小説むすび | 2024年12月発売

2024年12月発売

私の魔法は絶対に当たるんです 〜スローライフを守るために魔法を撃ち続けていたら、いつの間にか森の聖女になっていました〜私の魔法は絶対に当たるんです 〜スローライフを守るために魔法を撃ち続けていたら、いつの間にか森の聖女になっていました〜

どこにでもいる普通のOL、姫宮花音(ひめみやかのん)は、ある日働き過ぎて過労死してしまった。 ……しかし、花音は過労死をきっかけに異世界へと転生し、 魔法を絶対に外さないスキル<ホーミング>を持った、最強の魔法使いの美少女「カノン」として生まれ変わる。 森の奥のおしゃれな一軒家も手に入れて、 念願だったスローライフを謳歌しようと決めていたカノンだったが……。 夜になると森の野生のモンスターたちが騒ぎ出して眠れない!! 更にカノンが森の聖女と呼ばれるようになった頃、 自称天才魔法少女・アイシャが花音のもとに「弟子入りに来たわ」と唐突に押しかけてきてーー? スローライフを送りたいのに、 なにかと邪魔されてなかなかスローライフが送れない。 そんな残念聖女の魔法ファンタジー冒険譚、ここに開幕!!

【POD】灯台へ【POD】灯台へ

■注意事項 本書は、1930年代に翻訳されたヴァージニア・ウルフ『灯台へ』日本初訳の復刊書です。 全訳ではなく第2部・第3部のみの抄訳で、本文には異体字・旧仮名遣いが多く含まれます。 復刊にあたり、編者の判断でルビや注を附しています。 ■推薦コメント 100年前『灯台へ』と、ひとり船出した早逝の詩人がいた! 忘れられた翻訳が海神のように甦る。 テンポ、リズム、緻密で洗練された語彙。 輝ける訳業に心揺さぶられます。 日本にウルフ文学をもたらした葛川訳の発掘! *森山恵(詩人・翻訳家) もっと長くここにいたい、この翻訳に終わってほしくない。一行ごとに扉がひらき、百年前の日本語が燈台の光を点滅させる。 「あ ここにゐたのだつけ」 ーー私の意識の波打ち際に、誰のものかわからない記憶が押し寄せてくる。 *斎藤真理子(韓国文学翻訳家) ■内容紹介 20世紀モダニズム、そしてフェミニズムを象徴する作家であるヴァージニア・ウルフ。1927年にその代表作『灯台へ』が刊行されてからわずか4年後に、日本で初めて翻訳されたテキストを復刊しました。 訳者は葛川篤(くずかわ・あつし)。銀行員として働きながら、伊藤整や春山行夫といった昭和モダニズム文学の牽引者とともに翻訳に取り組み、32歳で病死しました。  舞台は20世紀前半のスコットランドの、とある海辺の別荘。哲学者のラムジー夫妻と8人の子どもたちのもとへ、賑やかな来客が訪ねてきます。語りの視点が目まぐるしく移り変わり、かれらの動きや考え、思い出を次々と描く手法は、文章芸術史においては「意識の流れ」と呼ばれ、高く評価されてきました。  葛川篤が訳したのは、第二部「時は過ぎ行く」と第三部「燈台」です。第一部から10年という歳月が経ち、ラムジー夫人が亡くなったあと、残された父ラムジー氏と子供たちが「灯台」へたどり着くまでの顛末が語られます。奇抜なエピソードや驚くべき事件はほとんど起きないにも関わらず、まるで私たち読者に過ぎ去る時間の豊かさを追体験させてくれるかのような作品です。  葛川篤は、伊藤整や春山行夫らとともに、『詩と詩論』『新文学』などの雑誌を自主制作し、数多くの小説・詩歌・戯曲・評論を翻訳していました。かれらは、インターネットや機械翻訳どころか、テレビや電話、飛行機さえ広まっていなかった時代に、海外の先端的なクリエイターを日本へ熱心に紹介しようとした「ベンチャー精神」の持ち主だったのかもしれません。そんな葛川の手がけた訳文(第2部、第3部)に加え、英文学者・小川公代さんによる解説文、文献調査にもとづく編者解説・年譜を収録しました。 ■目次 編者まえがき……小澤みゆき 第二部 時は流れゆく 第三部 燈台 解説……小川公代 編者解説……小澤みゆき 葛川篤年譜 ■書誌 著者:ヴァージニア・ウルフ 訳者:葛川篤 編者:小澤みゆき 企画・編集協力:笠井康平 解説:小川公代 推薦:森山恵、斎藤真理子 装幀・組版:太田知也 校正(「解説」「葛川篤年譜」):サワラギ校正部 ページ数:190ページ 判型:四六判並製 ■著者・訳者・編者紹介 ヴァージニア・ウルフ(1882-1941) イギリス・ロンドン生まれ。20世紀の世界文学を代表する作家。文芸批評や伝記で知られる知識人レズリー・スティーヴンを父に持ち、幼い頃から文学や音楽に親しむ。両親の死後、のちに「ブルームズベリー・グループ」と呼ばれる文化集団を兄弟姉妹やその友人たちとともに結成する。1912年にグループの仲間であるレナード・ウルフと結婚後、33歳で作家デビューし、「意識の流れ」を駆使したモダニズム作家として注目される。主著に『ダロウェイ夫人』(1925)、『灯台へ』(1927)、『波』(1931)などがある。小説のほかに『自分ひとりの部屋』(1929)『三ギニー』(1938)をはじめとする評論・エッセイでも知られる。1917年にはレナードとともに出版社「ホガース・プレス」を立ち上げた。心の病に生涯苦しみ、第2次世界大戦中に入水自殺で亡くなった。 葛川篤(1906-1938) 秋田県出身。東京商科大学(現:一橋大学)の本科在籍中に文芸同人誌「一橋文藝」の立ち上げに参加。ヴェルレーヌやエドガー・アラン・ポー、スタンダールなどを精力的に訳した。卒業後は、川崎貯蓄銀行に勤めながら、「詩と詩論」「新文學研究」などで、英語・フランス語圏の小説、評論を翻訳した。日本初訳となるヴァージニア・ウルフ『灯台へ』抄訳(1930-1931)のほか、プルースト『失われた時を求めて』(部分訳、1930-1931)や、アンドレ・ジッド『贋金づくり』(伊藤整との共訳、1935)なども手がけた。20代後半より結核を患い、秋田市内で療養中に32歳の生涯を閉じた。

ブリクセン/ディネセンについての小さな本ブリクセン/ディネセンについての小さな本

Karen Blixenカレン・ブリクセン/Isak Dinesenイサク・ディネセンという主に二つの作家名で知られ、デンマーク語と英語の二言語で書いた女性作家についてのブック・ガイド。  『アフリカの日々』や『冬の物語』、『七つのゴシック物語』をはじめとする作品には何が描かれていたのか? ヘミングウェイに、自分よりもノーベル文学賞を受賞するのにふさわしいと言わしめたデンマークが誇るストーリーテラーは、どんな人生を送ったのか?  男性のようにズボンを穿き、自動車を運転し、ライオン狩りに行き、離婚し、自立し、外国で初めて真に成功したデンマーク人女性作家として強い女性のロールモデルとされながら、実は『バベットの晩餐会』の世界観に見られる敬虔なキリスト教家庭で培われた古い北欧的な人生観の持ち主だった彼女は、女性運動やフェミニズムに対し、どんな立ち位置にあったのか?   元ブリクセン博物館ガイドで、現在デンマークを代表する出版社で編集長を務める著者による、文学への情熱ほとばしる熱い解説で、難解といわれるブリクセン/ディネセン文学がたちまち親しみやすく、身近になる!  ギーオウ・ブランデス賞受賞作。 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ 本文より 「『七つのゴシック物語』を読むのは、万華鏡をのぞくのに少し似ています。万華鏡を回したり、ひっくり返したりするたび、新たな模様が目に飛び込んでくるように、『七つのゴシック物語』を読むたび、様々な要素を持った新たな物語が生まれるのです」 「私はいまだに『七つのゴシック物語』のテキストが実際に何を意味しているのかを説明できる人物に出会ったことが一度もありません。それはこの作品が互いに矛盾する意味同士が連なる万華鏡のようだからです」 「(ブリクセン/ディネセンの作品の)登場人物は、何らかの形で罪を犯すことで初めて完全な人間になれるのです。彼らは人生の光と影の両方を知らなくてはなりません。(中略)愛の二つの側面ーー甘美な面と残忍で猛々しく暴力的な面をも体験しなくては、愛が何であるかを完全に理解することはできません。愛は時に危険で破壊的である一方で、美しく生きる力を与えてくれることもあります。ストーリーテラーは彼の行いに審判を下すことなく、その行動がどこに導かれるかをただ見守るのです」

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