制作・出演 : ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団
ワルターの50年代半ばのNYPとのモーツァルト三大交響曲。第39番の生気に満ちたスケールの大きさ、第40番のロマンティックなニュアンス、第41番の堂々たる表現など、ワルターの非常に充実した演奏がきける。NYPの積極的な演奏も特筆される。
ワルター76歳の「テ・デウム」と79歳の「レクイエム」。心臓病を患った後のコロンビア響との一連の録音よりドラマティックな感情の表出が烈しく、彼が本来歌劇場育ちだったことを思い起こさせる。新方式のリマスターによって音の分離が向上している。
60年代半ばの演奏。80年代のウィーン・フィルとの録音がウィーン流のスタイルをとり入れたものであったのに対し、この演奏は正に「バーンスタイン流のモーツァルト」。特に40番の終楽章にバーンスタインのモーツァルト解釈の原型を聴く思いがする。
オーマンディの演奏はことさら深刻でもないし思索的でもないけれど、だからといって底の浅い音楽ではない。音楽のあるべき響き方を求め続けた指揮者といえる。「英雄」の正当的な表現にそれがよく表われている。バーンスタインの「レオノーレ」も鮮烈。
感傷的な表現を払拭し、キリッと引き締まった棒さばきから生まれるメロディがフレッシュ。60年代の初め、バーンスタインが古典派やロマン派の音楽に、次々を新風を吹き込んでいた頃の「未完成」。晩年の演奏にはない透明感やみずみずしさが魅力だ。
30年前、若さあふれるバーンスタインのショスタコの5番。現在の濃厚な表現が失ったスピード感とダイナミックな表現が痛快だ。一方の9番は、60年代半ば、スーパースターとして脚光をあびるレニーの自信がみなぎる充実感。もう風格さえ見せている。
バーンスタインとしては作為的な表情づけも少なくストレートかつ開放的に音楽することを楽しんでいるかのようだ。このリズムの躍動感はいかにもバーンスタインらしいものだが、通常の意味での良いリズム感とはいささか異なる。ま、そんなことより楽しみましょう。