ジャンル : 演歌・純邦楽・落語 > 落語・演芸
能管、篠笛、〆太鼓の和楽器にギターが入り、ゲストが山下、坂田、渡辺の豪華なメンバー。日本の伝統的五音階〈ラ・シ・レ・ミ・ファ〉と〈ラ・ド・レ・ミ・ソ〉を使った(1)、能の囃子を変奏した(2)、ユニークなタイトル(3)(4)、打楽器を主体に構成された(5)(6)と“和”の現代版。
81年春の三百人劇場での録音。ジャケ写の若いこと。「高田馬場」は昔の珍商売を紹介するマクラだけで十分に笑わせてくれる。ネタに入ってからも、仇討ちフィーバーに盛り上がる街中の描写に、この人らしい鋭い観察眼を感じる。「甲府い」は淡々とした語り口の一席。
勘当した息子が“臥煙”となり、火事騒ぎの最中に手助けに来る「火事息子」は人情噺であるが、志ん朝は絶妙のテンポで微笑みを誘う口演である。女髪結いが年下の亭主と喧嘩をしては仲人に泣きつく「厩火事」では、小気味良い口調でぽんぽんと展開する。
禁酒を誓いあった息子の留守中、親父はこっそり一杯……、が何杯にもなってヘベレケに。そこに息子が帰ってきて、という親子酒。また藩士一同に禁酒令が出たなかで、番屋の検問をかいくぐって酒屋へ通ろうとする禁酒番屋。無類の酒好きの文治の真骨頂に触れることができる二席だ。
出囃子の“バッテンボー”が聴こえてきた瞬間に、明るく軽妙な高座が目に浮かぶ。「大工調べ」の棟梁のやや勘違いの威勢よさ、「粗忽の釘」のこちらは文句なしの勘違いぶり、どちらも小遊三そのものではと思わせるところが偉い(!?)。寄席の楽しさを味わうならこの一枚。
堅物で厳しい番頭、実は粋な遊び人。隠れ遊びを旦那に見つかってしまった番頭はクビかとおびえる。さて旦那は……。江戸時代の商人美学を描いた50分を越える大作で、謹厳実直な小言と芸者遊びの華やかさと、好対照の話芸を軸にじっくり聴かせてくれる。80年の収録。
79年に大阪で行なわれた故・志ん朝のライヴである。まだ若々しい色気、愛嬌に満ち、整った口調で浪花の客を沸かせていく。品川女郎のお染が心中の相手に選んだ本屋の金蔵のちょろいこと。後半のテンポのいい追い込みが小気味よい「品川心中」は逸品だ。
いままさに“旬”を迎えた瞬間の音源だけに、テンポのよさ、とくに上下の切り返しの鮮やかさは絶品。「寝床」の旦那は八代目文楽や六代目園生に比べて乾いた演じ方だが、これは自身の年齢を考慮してのことだったのだろうか。そのぶん「刀屋」の徳三郎はハマッているのだが。
「碁どろ」は、客を相手に碁に夢中の家に泥棒が侵入。碁の好きな泥棒がついつい口出し始めるという滑稽噺で、切れのいいテンポで爆笑を誘う。別れたはずの男が夜な夜な忍んでくる「お若伊之助」には新鮮な色気が漂っている。79年2月20日、三百人劇場ライヴを収録。
古典に本腰を入れて30年近くになる歌丸。円朝の「真景累ヶ淵」の通しを完成させ、今回は「牡丹灯篭」に挑んでいる。第一巻のあまり高座にかからない地味だが力量が問われる噺「栗橋宿」を演っている。荒物屋“関口屋”の伴蔵が女房お峰を殺す場面が聴きどころ。
2001年11月の東京独演会の音源。マクラの巧さは、枝雀亡きいま、上方落語ではトップ独走。2作とも上方ならではの噺だが、それだけに所作による笑いの比重が大で、その意味では“音”だけの勝負というのはいささか気の毒。ま、そこは聴き手の想像力の問題でもあるけど。
米朝の長男として幅広く活躍している小米朝は、一門の若手噺家の中では最も注目株。彼の噺を堪能するシリーズの第5弾。小さんが鬼籍に入って消沈気味な落語界に、上方から喝を入れてほしい。