著者 : 原俊雄
日米開戦と同時の「真珠湾奇襲」は山口多聞の献策により中止された──。開戦から2ヵ月後に生起した「ラバウル沖海戦」で連合艦隊は大勝し、敵将・キンメルを更迭に追い込む。が、新たに太平洋艦隊司令長官に就任したニミッツ大将の艦隊運用術に翻弄されて、連合艦隊はミッドウェイ戦、ガ島戦で煮え湯を飲まされ後退を余儀なくされる。 そしてニミッツは、ギルバート諸島の奪還に成功し、次なる標的をマーシャル諸島に据えた。だれもが“次はマーシャル沖で空母決戦が生起する!”と考えていたが、マーシャル攻略に備えて真珠湾に集結した米空母10隻を、山口や情報参謀の中島親孝は決して見逃さなかった!
パナマ運河を破壊・封鎖すれば太平洋は事実上、帝国海軍のものとなる! 装甲空母の大群を擁する連合艦隊は、雷爆撃機・流星を母艦に配備し、太平洋の覇権をすっかり握るかに思われた。 ところが米海軍は、二大装甲空母「ミッドウェイ」「フランクリン・D・ルーズベルト」を完成させて、日本の空母を一網打尽にしようと待ち伏せしていた。ニミッツには勝算があった。ユニオンジャックを掲げた装甲空母5隻が応援に駆け付けたのだ。 ──第一次攻撃隊を率いて出撃した江草隆繁中佐は、敵空母5隻の艦上にはためく“その旗”を見て絶句、今度こそ「生きて還れぬだろう……」とみずからに言い聞かせた。
マーク・A・ミッチャーの戦死は、ついにニミッツを突き動かした。 「もはやエセックス級空母では戦えない!」 ──アメリカ海軍もようやく空母の装甲化に乗り出すが、装甲空母の建造は一朝一夕にはいかない。 宿敵・日本海軍は巨大空母「信濃」以下、重装甲空母7隻と装甲空母5隻を完成させて、もはや“装甲空母大国”として君臨していた。 「ハワイが危ない!」 ──危機感を強めたニミッツは、マッカーサー軍のポートモレスビー陽動策に活路を見い出すが、はたして連合艦隊の眼をハワイからそらすことができるのか!? 昭和19年9月26日。装甲空母12隻を擁する大機動部隊がマーシャル諸島から出撃する‼
アメリカ海軍は1944年初頭までに7隻のエセックス級空母を戦力化してきた。対する帝国海軍は3隻の大鳳型空母を竣工させていたが、量産性においては断然エセックス級が優れ、搭載機数でも大鳳型を圧倒していた。 機動部隊の航空兵力が日本軍を上まわったとみるや、米艦隊は伝統的戦略「オレンジプラン」の大方針に則って中部太平洋を一気に進軍して来る! 空母の数こそ拮抗していたが、はたして連合艦隊はマーシャル諸島(ハワイ攻略の策源地)を護り切れるのか!? 空母14隻対14隻の大機動部隊がマーシャル沖で激突! ──大鳳型とエセックス級がついに雌雄を決する!!
イギリス海軍によるイラストリアス級空母の建造は、日米両海軍の空母建造に一石を投じた。アメリカ海軍はただちに装甲空母の是非について検討をおこない、帝国海軍も昭和13年初頭には同様の研究を開始した。搭載機数の減少を良しとしない米海軍は、飛行甲板の装甲化に消極的な態度を取り続け、大量の艦載機を搭載するエセックス級空母の増産に踏み切る。対する帝国海軍は、軍縮条約明け後に建造する「飛龍」をまず実験艦に指定して装甲化の手ごたえをつかみ、翔鶴型、飛鷹型空母の改造にも着手、米英に先駆けて“装甲空母大国”としての道をあゆみ始めるのだった。
パナマ運河の封鎖に成功した連合艦隊だが、ハルゼー大将の米本土防衛艦隊から強烈なしっぺ返しを喰らい、福留中将の第三艦隊が壊滅的な損害を被る。日本軍の“主力空母3隻を撃破した!”と信じるニミッツ大将は、太平洋艦隊の指揮下に第五艦隊を設立し、ついにハワイ諸島の奪還に着手。ルーズベルト大統領も1944年「5月までにハワイを奪還せよ!」と厳命した。 対する連合艦隊は、新鋭空母「大鳳」以下の母艦18隻を揃えて米軍機動部隊をハワイ近海で迎え撃つ! 南米・ホーン岬経由で大遠征して来る米艦隊に、連合艦隊は最後の決戦を挑むが、果たして「日本海海戦」の再現は成るか!?
連合艦隊に残された時間は余りなかった。1943年・秋になると米海軍は大量のエセックス級空母をそろえて一気に反転攻勢を仕掛けて来る! ──連合艦隊をあずかる山口多聞大将はそう予測し、それまでに太平洋の支配権をゆるぎないものにするため、次々と米軍の急所を突いてゆく。 オアフ島の攻略がその手始めであり、1942年8月10日にはハワイ沖で一大空母決戦が生起する。さらに空母兵力で宿敵・太平洋艦隊を圧倒する連合艦隊は、1943年2月に米国のアキレス腱を一気に断ち切り、“勝利の方程式”を樹立! ──早期講和をめざしてルーズベルト政権を追い詰めてゆく。
ハズバンド・E・キンメルの戦死にともない、太平洋艦隊司令長官に宿敵チェスター・W・ニミッツが就任。二度目のハワイ空襲は「是が非でも阻止する必要がある!」と決意したニミッツ大将は、ドーリットル・B25爆撃隊を活用した奇抜な迎撃策で連合艦隊を翻弄、1942年4月にミッドウェイ近海で一大空母決戦が生起する。連合艦隊の作戦企図を見事に挫いてみせたニミッツは、オアフ島の早期復旧を成し遂げるが、ハワイを占領するという山口多聞の信念を撃ち砕くことまではできなかった。8月、巨大戦艦「大和」「武蔵」と空母12隻を擁する連合艦隊の大兵力が、ついにオアフ島へと迫ってゆくのであったー!
「まず連合艦隊を解散せよ!」-米内光政海相の許しを得て、禅の修行に出た黒島亀人は、霊場・恐山にて驚くべき神の啓示を授かる。しかもその啓示は、亡き山本権兵衛大将の慰霊が下したお告げであった。折しも日中戦争が勃発。支那方面艦隊の増強を迫られた米内は、軍令部の求めに応じて連合艦隊を次第に縮小、ついにはお告げ通りにその解散に踏み切ったのだった!そして日米開戦の直前に“新たな連合艦隊”が結成され、開戦劈頭の「ハワイ奇襲」は勇壮な作戦に拡大。空母9隻を従えた戦艦「大和」が、ハワイからミッドウェイへと進撃し、太平洋艦隊を追い詰めてゆくー!!
連合艦隊はガ島の占領に成功。しかし1943年に入ると、米海軍はエセックス級空母を続々と竣工させてきた。その空母増産力は帝国海軍をはるかに凌ぎ、高速空母10隻をそろえた米軍は本格的な反攻を開始、9月にはついにポートモレスビーを奮い返されてしまう。連合艦隊の執るべき作戦はただひとつ、制空母艦3隻をそろえて速やかにハワイを占領するのだ。海兵51期卒業の樋端久利雄や大井篤などが英知を結集し「ハワイ攻略作戦」を立案するも、米軍機動部隊は11月には早くも次なる作戦へ向けて動き出す。連合艦隊は米軍の反攻を阻止してハワイを占領できるのか!?制空母艦3隻が今、出撃してゆく!
1942年2月に空母「エセックス」が竣工。9月には早くも南太平洋に「エセックス」が現れ、ガ島争奪戦は長期化の様相を呈し始める。移動式浮揚ドック「ABSD-1」を駆使した米海軍の空母補修能力は帝国海軍の常識をくつがえし、米軍機動部隊は再三にわたって息を吹き返す。このままでは“航空消耗戦に引きずり込まれる!”と憂慮した連合艦隊司令部は、戦艦による二度目のガ島砲撃を計画、戦艦「大和」に対して出撃を命じる。艦長は松田千秋大佐が務めていた。松田の乗る「大和」は鉄底海峡で大暴れするも、米軍艦載機から執拗な反撃を受け、次第に追い詰められてゆく。はたして「帝龍」は、決戦場へ間に合うのか!?
海兵51期は先見の明にあふれた俊傑の宝庫だった。51期卒業の大井篤、木阪義胤、樋端久利雄が 知恵を出し合って画期的な新空母「制空母艦」を生み出し、帝国海軍の建造計画は大きく改定される。 その結果、大和型三、四番艦の建造は中止となり、制空母艦をふくむ大型空母4隻が起工される。 そして一番艦「帝龍」が昭和17年6月12日に竣工、いよいよソロモン海へ出撃してゆくが、 そこでは暗号解読に成功した米海軍の空母が5隻も待ち伏せしていた。 制空母艦「帝龍」は、はたして味方の窮地を救えるのか!? 大量の零戦がその広大な飛行甲板を蹴って、今、飛び立つ!
昭和20年2月、帝国海軍は珊瑚海海戦で米英連合軍艦隊に壊滅的な打撃を与え勝利する。勢いそのままポートモレスビー攻略に向かい米軍航空兵力の一掃に成功。マッカーサー軍は後退を余儀なくされる。その一報を聞いたルーズベルトは倒れ、トルーマン副大統領が政務を引き継ぐことになった。チャーチル英首相に日本との講和を助言されるも、あくまでハワイ奪還に固執するトルーマン。終わりの見えない対米戦に、帝国海軍は米本土空襲の準備を進める。一方の米軍は、ドイツ敗戦を受け米陸海軍の大兵力を太平洋に集結させるのであった。猛将対知将の最終決戦!日米大艦隊がついに激突する!
樋端久利雄大佐の計略によりジョンストン島の占領に成功した連合艦隊は、いよいよオアフ島の攻略に乗り出す。対するアメリカ太平洋艦隊は、オアフ島基地航空隊に壊滅的な損害を受け、ハワイ沖に待機させていたジョン・H・タワーズ大将の第五艦隊で起死回生の空母決戦を挑む!かたや南太平洋戦線では、古賀峯一大将がついに米軍航空兵力の一掃を決意、「い号作戦」を発動し山口多聞中将の第二機動艦隊に出撃を命じる。だがそこでは、イラストリアス級空母五隻を擁する“イギリス太平洋艦隊”が立ち塞がっていた。はたして帝国海軍は、この二大空母決戦を制して戦争終結への道を切り開くことができるのか!?
先の「中部太平洋海戦」で米軍・第58機動部隊は大量の高速空母を喪失。その立て直しを図るために米海軍は、エセックス級空母の竣工前倒しと軽空母の追加建造に着手する。その上で四選をもくろむルーズベルト大統領は、具体的な成果を求めて失地回復に乗り出す。狙いはまずガダルカナル島、次いでミッドウェイ島だった。一方、山本五十六はハワイ占領を計画するが、次々と繰り出す米側の奇策に手を焼き、占領計画はあえなく頓挫。そこへ起死回生の案を示したのが軍令部・作戦班長の樋端久利雄大佐だった。はたして樋端の計画は成功し、帝国陸海軍はハワイを占領できるのか!?
昭和17年10月。山本五十六の率いる連合艦隊が「布哇沖海戦」で勝利、オアフ島上陸の構えをみせると、ルーズベルト大統領は武力によるハワイ防衛をあきらめて日本政府に急遽、停戦を申し入れた(『山本五十六の野望』シリーズ)。東條内閣はそれを受諾、日米間に休戦協定が成立するが、大統領四選をもくろむルーズベルトは失地回復、対日再戦の機会を虎視眈々とうかがっていた。1944年初頭に待望の高速空母15隻(エセックス級7隻、インディペンデンス級8隻)が出そろうや、ルーズベルトは休戦協定の破棄をひそかに決意、チェスター・W・ニミッツに対して“逆奇襲”による、マーシャル占領を厳命する!戦記シミュレーション・シリーズ。
ミッドウェイ環礁の北西にはキュア島(クレ環礁)が在る。ハワイ攻略の信念を持つ山本五十六は、同島を、ハワイ占領のための「秘密基地にしてやろう!」とひそかに計画していた。一方、ミッドウェイでの敗戦を認めたチェスター・W・ニミッツは辞意を伝えるが、ルーズベルト大統領はそれをゆるさず“究極のハワイ防衛策”を彼に明かす。これで辞意が一気に吹き飛び、ニミッツは日本に匹敵する空母をそろえ、新型戦艦をも動員してのハワイ防衛策を計画。対する帝国海軍も「武蔵」が竣工。砲撃戦の役者は出そろった。はたして山本は、大統領“究極の防衛策”を打倒し、野望をかなえることができるのかー。
ルーズベルト大統領には秘策があった。チェスター・W・ニミッツの起用とニューディール政策による真珠湾の復旧だ。太平洋艦隊長官に就任したニミッツは、その期待に応えて真珠湾の早期復旧を成し遂げる!そしてニミッツは反撃の機会を虎視眈々と窺い、まずは東京空襲を敢行、サンゴ海でも帝国海軍に痛撃を喰らわせる。いっぽう帝国陸海軍は南方資源地帯を次々と攻略、山本の眼はいよいよミッドウェイへ向けられた。しかし暗号解読でこれを察知したニミッツは、全空母を動員して、山本五十六にひと泡吹かせようともくろんでいた。新型レーダー搭載の「大和」は味方空母を救えるのか!?ミッドウェイ沖で大海戦が生起する!
伏見宮博恭王・元帥から厳命され、連合艦隊司令長官を続けることになった山本五十六は、井上成美の“苦言”に蒙をひらかれて「ハワイ作戦」の陣頭指揮を決意する。それは、開戦劈頭、連合艦隊麾下、主力空母の大多数を率いてハワイ近海まで押し出し、米海軍艦艇の居並ぶ真珠湾に“航空波状攻撃”を敢行するというものだった。徹底攻撃を決意した山本は、最先端兵器・対空レーダーを搭載する「大和」に座乗、空母7隻を擁するハワイ空襲部隊を編成する。そして昭和16年12月3日、米国民の戦意を徹底的にくじくべく、真珠湾へ向けて巨大戦艦「大和」が出撃する!