著者 : 吉川英治
囚われの身ながら潯陽楼の風光に見惚れた宋江は、即興の一詩をそこに残したが、謀反人の烙印を押され、あわや刑死という寸前、晁蓋をはじめとする梁山泊の面々に救い出された。二丁斧を使う李逵や姦婦巧雲を成敗した楊雄も仲間に加わり、梁山泊の勢いは、日に日に旺となる。ここにその動きを警戒するのが、地元豪族の祝氏一族。ついに両者は激突し、悪戦苦闘の末、泊軍は勝利を収める。
最晩年の著者が、心血を注いで築きあげた壮大な中国絵巻!一騎当千の豪雄がそろい、民衆の与望をになって起つ梁山泊軍は、野火のごとく勢いを増す。権勢の人、高〓@42C6は、一万四千の大軍をもよおして泊軍を討たんとする。その秘密兵団こそ、連環馬軍であった。さしもの泊軍も色を失い、梁山泊始まって以来の大損害をこうむる。しかし梁山泊の智恵者は王手を逆にとり、難局を乗り切った。
もし頼朝が伊豆以外に配流となっていたとしたら、後の日本の歴史も変わったものになっていたに違いない。まことに奇しく伊豆、そして火の国の女・政子との出会いであった。さすがの佐殿も、政子の情熱に寄り切られたのである。ここに最大の被害者は、政子の父・北条時政であった。-一方、都に目を移せば、反平家の気運は次第に強まり、洛中洛外、不穏な兵馬の動きにあわただしい。
鹿ケ谷事件は“驕る平家”への警鐘であったが、清盛にはどれ程の自覚があったろうか。高倉天皇の中宮徳子は、玉のような御子を産み、一門をあげて余慶にひたっていた。-だが反平家運動は、今や野火の如く六波羅の屋形を包んでいた。その総師はもちろん、清盛の圧力に屈せぬ後白河法皇、関白基房などの院方。そして意外と思われる人に、76歳の老武将・源三位頼政がいた。
源三位頼政は、殱滅された源氏一族にあって、異例といえるくらい、清盛の殊遇をうけた人であった。その彼が、何ゆえ76歳の高齢もかえりみず、平家打倒に起ちあがったか。そして戦いは断橋の悲痛な叫びを残して終ったが、これを境に反平家の勢力は、燎原の火の如く各地に蹶起する。-伊豆での旗挙げに1度は失敗した頼朝も、鎌倉に本拠を定めて都を窺う。つづいて木曽の義仲、挙兵!
中国は宋朝の時代、勅使として龍虎山に派遣された洪言は、厳しく禁じられた石窟の中を掘ったため、封じられた百八の魔星はどっと地上に踊り出た。やがて、その一星一星が人間と化して、梁山泊をつくり、天下を揺さぶる。-これが中国最大の伝奇小説「水滸伝」の発端である。「新・水滸伝」は、少年時代からこの中国古典に親しんだ著者から、思うままに意訳し、奇書の世界を再現する一大絵巻。
一介の毬使いから近衛大将にまで成り上がった高〓。専権をほしいままにする彼が腐敗政治を生み、庶民の血と涙が反骨の英雄を生む。禁軍の師範だった林沖、王進、楊制使の楊志、下級官吏の魯達など、官に不満を抱く諸豪傑、今孔明の異名を持つ呉学人や宋江、武松らいずれ劣らぬ錚々たる面々は、烈々たる想いを胸に、梁山泊への道を歩んでくる。聚護庁に同志の数の灯がともる。
赤壁の大敗で、曹操は没落。かわって玄徳は蜀を得て、魏・呉・蜀三国の争覇はますます熾烈にーー。呉の周瑜、蜀の孔明、両智将の間には激しい謀略の闘いが演じられていた。孫権の妹弓腰姫(きゅうようき)と玄徳との政略結婚をめぐる両者両様の思惑。最後に笑う者は、孫権か、玄徳か?周瑜か、孔明か?一方、失意の曹操も、頭角を現わし始めた司馬仲達の進言のもとに、失地の回復を窺う。
「三国志」をいろどる群雄への挽歌が流れる。武人の権化ともいうべき関羽は孤立無援の麦城に、悲痛な声を残して鬼籍に入る。また、天馬空をゆくが如き往年の白面郎曹操も。静かな落日を迎える。同じ運命は玄徳の上にも。--三国の均衡はにわかに破れた。このとき蜀は南蛮王孟獲に辺境を侵され、孔明は50万の大軍を南下させた。いわゆる七擒七放の故事はこの遠征に由来する。
曹真をはじめ多士済々の魏に対して、蜀は、玄徳の子劉禅が暗愚の上、重臣に人を得なかった。蜀の興廃は、ただ孔明の双肩にかかっている。おのが眼の黒いうちに、孔明は魏を叩きたかった。--かくて祁山の戦野は、敵味方50万の大軍で埋まった。孔明、智略の限りを尽くせば、敵将司馬仲達にもまた練達の兵略あり。連戦7年。されど秋風悲し五丈原、孔明は星となって堕ちる。
日本では卑弥呼が邪馬台国を統治する頃、中国は後漢も霊帝の代、政治の腐爛は黄巾賊を各地にはびこらせ、民衆は喘ぎ苦しむ。このとき、たく県は楼桑村の一青年劉備は、同志関羽、張飛と桃園に義盟を結び、害賊を討ち、世を救わんことを誓う。--以来100年の治乱興亡に展開する壮大な世紀のドラマ。その華麗な調べと哀婉の情は、吉川文学随一と定評のあるところである。
黄巾賊の乱は程なく鎮圧されたが、腐敗の土壌にはあだ花しか咲かない。霊帝の没後、十常侍に代って、董卓(とうたく)が権力の中枢に就いた。しかし、群雄こぞっての猛反撃に、天下は騒然。曹操が起ち袁紹が起つ。董卓の身辺には、古今無双の豪傑呂布(りょふ)が常に在り、刺客さえ容易に近づけない。その呂布が恋したのが、董卓の寵姫貂蝉(ちょうせん)。傾国という言葉は「三国志」にこそふさわしい。
黄巾賊の乱より10年、天下の形勢は大いに変っていた。献帝はあってなきものの如く、群雄のうちにあっては、曹操が抜きんでた存在となっていた。劉備玄徳は、関羽、張飛を擁するものの一進一退、小沛の城を守るのみ。打倒曹操!その声は諸侯の間に満ち、国舅(こっきゅう)董承を中心に馬騰、玄徳など7人の謀議はつづく。誰が猫の首に鈴をつけるのか。--選ばれたのは、当代一の名医吉平。
乱世の姦雄を自称し、天下を席捲した曹操も、関羽には弱かった。いかな好遇をもってしても、関羽の心を翻すことはできない。玄徳を慕って千里をひた走る関羽。そして劇的な再会。その頃、兄孫策の跡を継いだ呉の孫権は、恵まれた自然と豊富な人材のもと、国力を拡充させていた。失意の人玄徳も、三顧の礼をもって孔明を迎えることができ、ようやく天下人として開眼する。
新野を捨てた玄徳は千里を敗走。曹操はなおも追撃の手をゆるめない。江夏にわずかに余喘を保つ玄徳軍に対し、潰滅の策をたてた。天下の大魚を共に釣ろう、との曹操の檄は呉に飛んだ。しかし、これは呉の降参を意味する。呉の逡巡を孔明が見逃すはずはない。一帆の風雲に乗じ、孔明は三寸不爛の舌をもって孫権を説き伏せる。かくて史上有名な会戦、赤壁の大捷に導き、曹操軍は敗走する。
12世紀の初め、藤原政権の退廃は、武門の両統“源平”の擡頭をもたらした。しかし、強者は倶に天を戴かず。その争覇興亡が古典平家の世界である。「新・平家物語」も源平抗争の歴史を描くが、単なる現代訳でなく、古典のふくらんだ虚像を正し、従来無視された庶民の相にも力点を置く。-100年の人間世界の興亡、流転、愛憎を主題に、7年の歳月を傾けた、著者鏤骨の超大作。