著者 : 山下澄人
作り話の世界で生きてきた。芥川賞受賞作『しんせかい』に連なる反自伝小説。演劇する集まりを立ち上げ、「FICTION」と名付けた。人が入れ替わりながら、わたしは残り、十六年つづけ、小説も書くようになった。仲間のひとりは夭逝し、もうひとりは体が半分しか動かない身で小説を書こうとしている。二度の大病をしたわたしは回顧し始める。死と生、芸術を奔放なスタイルで思索する連作短篇集。
腹が破裂して、緊急手術をすることになった。そこから連鎖するように、わたしのからだに不調が現れる。やがて世界には新型コロナウイルスが蔓延し始めた。 からだの痛みは、苦しみの歴史や数多の物語、宇宙の謎にまでわたしを導いていく。 恐るべき速度で世界が変化する分断と混乱の時代に、あらゆる束縛を小説で超越してきた山下澄人が投げかける、渾身の一冊。
書かれたとおりに読まなくていい。どこから読んでもかまわない。 一気読みできる本のように、一望して見渡せる生など、ない。 「小説の自由」を求める山下澄人による、「通読」の呪いを解く書。 父はおらず、口のきけない母に育てられたトシは、5歳で親戚にもらい子にやられた。 だがその養親に放置され、実家に戻ってきたのちトシは、10歳で犬と共にほら穴住まいを始める。 そこにやってきたのは、足が少し不自由な同じ歳の少女サナ。サナも、親の元を飛び出した子どもだったーー。 親からも社会からも助けの手を差し伸べられず、暴力と死に取り囲まれ、しかし犬にはつねに寄り添われ、未曽有の災害を生き抜いたすえに、老い、やがていのちの外に出た<犬少年>が体験した、生の時間とは。 【著者略歴】 山下澄人(やました・すみと) 1966年、兵庫県生まれ。富良野塾2期生。96年より劇団FICTIONを主宰。2012年『緑のさる』で野間文芸新人賞を、17年「しんせかい」で芥川賞を受賞。その他の著書に『ギッちょん』『砂漠ダンス』『コルバトントリ』『鳥の会議』『小鳥、来る』などがある。
夏休みが始まった。9歳のおれは、父を倒す日をじっと待っているーー 勉強ができるまーちゃん、毎日万引きするしらとり兄弟、 学年一強い女子のしまだ、何度も車にはねられるたけし。 動物園には誰よりも賢そうなゴリラがいた。 小さくてもタフな子どもたちの物語。 ブレイディみかこ氏、推薦! 「大人より賢くてタフな生き物のおかしくて悲しいさえずり。 ファックな世でも子は育つ!」
十九歳のスミトは、船に乗って北へ向かう。行き着いた【谷】で待ち受けていたのは、俳優や脚本家を志望する若者たちと、自給自足の共同生活だった。過酷な肉体労働、同期との交流、【先生】の演劇指導、地元に残してきた“恋人未満”の存在。スミトの心は日々、揺れ動かされる。著者の原点となる記憶をたぐり、等身大の青春を綴った芥川賞受賞作のほか、入塾試験前夜の希望と不安を写した短編も収録。
わたしはひとりじゃない。 夜、見上げれば、わたしには わたしが生まれた あの赤い星の近くの星が見える。 子どもと、かつて子どもだった人へ贈る物語。 芥川賞受賞第一作! 【出てくる人】 天ーー海辺の小屋で暮らす少女。父は大雨の日、山から星に帰ってしまった。 ルルーーその冬はじめての雪が降った日、小屋にあらわれた女の子。 飛行機乗りーー山に、飛行機が落ちてくる。飛行機乗りは、ケガをしている。
新芥川賞作家の傑作小説集! 「しんせかい」で第156回芥川賞を受賞。鮮烈なスタイルで現れた山下澄人の初期傑作集を待望の文庫化! 『ギッちょん』『コルバトントリ』二冊の単行本を一冊に。 〇収録作 ・ギッちょん 四十過ぎてホームレスになった男。目の前を往き来するのは幼馴染み“ギッちょん”とひとりぼっちの父。(第147回芥川賞候補) ・水の音しかしない 毎朝同じ電車になる男が鬱陶しくて、時間をはやめてみたら、やはり男といっしょになった。適当に話を合わせているうちに「わたし」は窮地に陥る。 ・トゥンブクトゥ 第一部 街でゆきかう老若男女の様々な思惑、殺意。第二部 海辺のサバイバル。 ・コルバトントリ わしは死なへん。お前も死なへんねん。誰も死なへん。生者も死者も人間も動物も永遠を往還するーー(第150回芥川賞候補) 〇小川洋子さんによる解説を収録。 「山下澄人さんの小説を読むと、語り手も登場人物たちも皆、魂だけになってしまった人々のようだ、と思う。魂というと普通、肉体の檻から解放された、純度の高い存在の源、のようなイメージがあるが、山下さんの場合は少し違う。」 「山下さんの小説に現れるのも、この“在り間”に近いものたちだと思われる。存在する、と明確に断言するだけの自信もなく、かと言って、存在しないのだな、と問われるといや、待ってくれと言いたくなる。どっちつかずの隙間、空洞、落とし穴、のような何か。ないけれどある。あるけれどない。」 「語り手たちは皆、迷ってばかりで、自信がなく、肝心なことをすぐに忘れる。生かされている世界に圧倒され、その前でちっぽけな自分を持て余している。そんな小さな人々にしか見えない真実の風景が、ここには描かれている」
ぼくと神永、三上、長田はいつも一緒だ。ぼくがまさしにどつかれて左目を腫らしたと知ると、神永たちは仕返しにゲーセンに向かい、教師や先輩からの理不尽には暴力で反抗する毎日。ある晩、酔った親父の乱暴にカッとなった神永は、台所に二本あった包丁を握る。「お前にやられるなら本望や」そう言い放つ親父を、神永は刺すのだが…。痛みと苦味のなかで輝く少年たちの群像。
「砂漠へ行きたいと考えたのはテレビで砂漠の様子を見たからだ」-北国に住むわたしが飛行機に乗って到着した街は、アメリカの古くからのカジノの街。レンタカーを借りて向かった砂漠で、わたしは、子どもの頃のわたしに、既に死んだはずの父と母に、そして、砂漠行きを誘えずにいた地元のバーで働く女に出会う…。小説の自由を解き放つ表題作に、単行本未収録を含む短篇三作を併録。
十代の終わり、遠く見知らぬ土地での、痛切でかけがえのない経験ーー。19歳の山下スミトは演劇塾で学ぶため、船に乗って北を目指す。辿り着いたその先は【谷】と呼ばれ、俳優や脚本家を目指す若者たちが自給自足の共同生活を営んでいた。苛酷な肉体労働、【先生】との軋轢、そして地元の女性と同期との間で揺れ動く思い。気鋭作家が自らの原点と初めて向き合い、記憶の痛みに貫かれながら綴った渾身作!
人間という暮らしにうんざりしたというわたしは、それでも自殺はせずに「わたし」と呼ぶ装置をもう少し観察してみたいと望み、家を出て山へ向かうことに。ユという女性との記憶と死んだはずの友人の中西を道連れに山を目指し、吹雪の中で出会った黒い馬「ルンタ」に乗り、さらに深い雪の中を進んでいく。生と死、現在と過去を行き来する人々が、人間の意識や時間の虚構を疑わせながらもまた確かな生を感じさせる。保坂和志氏絶賛! 1996年より劇団FICTIONを主宰。2011年より小説を発表しはじめ、2012年「ギッちょん」で芥川賞候補、同年初の創作集『緑のさる』で野間文芸新人賞を受賞。2013年「砂漠ダンス」で芥川賞候補。同年、「コルバトントリ」で芥川賞候補となる。今最も注目される作家、山下澄人氏最新作。 人間という暮らしにうんざりした、というわたしは、それでも自殺はせずに「わたし」と呼ぶ装置をもう少し観察してみたいと望み、家を出て山へ向かうことに。ユという女性との記憶と死んだはずの友人の中西を道連れに山を目指し、吹雪の中で出会った黒い馬「ルンタ」に乗り、さらに深い雪の中を進んでいく。 生と死、現在と過去を行き来する人々が、人間の意識や時間の虚構を疑わせながらもまた確かな生を感じさせる。 天性の言語感覚と非凡な着想で書かれた傑作。保坂和志氏絶賛!デビュー作『星になる』も収録。 「そろそろ無理か」 ユが言った。たぶんそういった。 「無理ちゃうか」 わたしがいった。 わたしの見ているこいつがそういった。 ユが手元で携帯電話をいじっているのがわかった。 少ししてわたしの携帯電話がメールを受信した。そこにはこう書かれていた。 「でんきつけて」 わたしはため息をわざとつきながら明かりをつけた。そのとたんなぜか電子レンジが大きな音をたてて、パンッと破裂し壊れた。 ルンタがからだを揺すって泣いていたわたしが雪の上へ落ちた。雪は冷たく、わたしはわたしの中にいた。──本文より。 ルンタ 星になる
著者・山下澄人は北海道などを拠点に活動を続けてきた劇作家、演出家、兼俳優。その劇を観に通っていた編集者のすすめで書いた小説『緑のさる』(平凡社)で昨年末に野間文芸新人賞を受賞した注目の書き手です。今回の作品集の表題作「ギッちょん」は第147回芥川賞候補作にもなりました。「ギッちょん」は、ある男の一生が、時系列をシャッフルして語られます。腕白な少年時代、荒れた十代、放浪の青春時代、ホームレスになった四十代、清掃業に就き静かに死を待つ晩年の情景が次々にたちあがってきて、次第に胸がしめつけられるような心持になります。「水の音しかしない」は、サラリーマンの不条理劇のようにはじまりながら、やがて読者は大震災後の混沌とした世界に連れて行かれていることに気付きます。「トゥンブクトゥ」では、街の雑踏で交差していた老若男女さまざまな人々の思惑が、やがて暴力的なものに変容し、決着をつけるかのように、皆が海辺へと向かいます。読むたびに変貌をとげるこの作品群は、小説の新たな地平を切り拓くことになるでしょう。