著者 : 山下澄人
腹が破裂して、緊急手術をすることになった。そこから連鎖するように、わたしのからだに不調が現れる。やがて世界には新型コロナウイルスが蔓延し始めた。からだの痛みは、苦しみの歴史や数多の物語、宇宙の謎にまでわたしを導いていく。恐るべき速度で世界が変化する分断と混乱の時代に、あらゆる束縛を小説で超越してきた山下澄人が投げかける、渾身の一冊。
書かれたとおりに読まなくていい。どこから読んでもかまわない。一気読みできる本のように、一望して見渡せる生など、ない。小説の自由を求める山下澄人の手に取り憑いたのは、世界から放りだされた者たちの声。「境界のない目」を持った犬少年トシの、生まれ、生きて、死ぬまでと…それから。
9歳のおれは、父を倒す日をじっと待っているー勉強ができるまーちゃん、毎日万引をするしらとり兄弟、学年一強い女子のしまだ、何度も車にはねられるたけし。笑えるのに切ない、小さな子どもたちの夏休み。
四十歳を過ぎた「わたし」の目の前を去来する、幼なじみの「ギッちょん」の姿ー子供みたいにさみしく、無垢な文章。そこには別の時間が流れ、ページを繰るたびに新たな世界が立ち上がるー鮮烈なスタイルで現れた芥川賞作家・山下澄人の、芥川賞候補作「ギッちょん」「コルバトントリ」を含む初期傑作集。
ぼくと神永、三上、長田はいつも一緒だ。ぼくがまさしにどつかれて左目を腫らしたと知ると、神永たちは仕返しにゲーセンに向かい、教師や先輩からの理不尽には暴力で反抗する毎日。ある晩、酔った親父の乱暴にカッとなった神永は、台所に二本あった包丁を握る。「お前にやられるなら本望や」そう言い放つ親父を、神永は刺すのだが…。痛みと苦味のなかで輝く少年たちの群像。
「砂漠へ行きたいと考えたのはテレビで砂漠の様子を見たからだ」-北国に住むわたしが飛行機に乗って到着した街は、アメリカの古くからのカジノの街。レンタカーを借りて向かった砂漠で、わたしは、子どもの頃のわたしに、既に死んだはずの父と母に、そして、砂漠行きを誘えずにいた地元のバーで働く女に出会う…。小説の自由を解き放つ表題作に、単行本未収録を含む短篇三作を併録。
19歳の山下スミトは演劇塾で学ぶため、船に乗って北を目指す。辿り着いた先の“谷”では、俳優や脚本家志望の若者たちが自給自足の共同生活を営んでいた。苛酷な肉体労働、“先生”との軋轢、地元の女性と同期の間で揺れ動く感情ー。思い出すことの痛みと向き合い書かれた表題作のほか、入塾試験前夜の不穏な内面を映し出す短篇を収録。
ぼくと神永、三上、長田はいつも一緒だ。ぼくがまさしに左目を潰されたら、みんなは仕返しにゲーセンに向かい、中学の教師や先輩からの挑発には暴力で反抗する。そんなある晩、神永はヤクザ者の親父をカッとなって殺してしまった…。にがさと痛みのなかで鮮烈に輝く少年たちの群像。
四十過ぎてホームレスになった男。目の前を往き来するのは幼馴染み“ギッちょん”とひとりぼっちの父(「ギッちょん」)。毎朝同じ電車になる男が鬱陶しくて時間をはやめてみたら、やはり男と一緒になった。適当に話を合わせているうちに「わたし」は窮地に陥る(「水の音しかしない」)。第一部・街でゆきかう老若男女の様々な思惑、殺意。第二部・海辺のサバイバル(「トゥンブクトゥ」)。