著者 : 横山信義
1943年11月、米海軍は日本の根拠地マーシャル諸島を制圧し、新鋭巨大戦艦「ネブラスカ級」2隻をはじめとする太平洋艦隊の主力が、メジュロ、クェゼリンの二大環礁に集結する。翌44年2月、万全の態勢を整えた米太平洋艦隊は戦力を二分し、それぞれマリアナ諸島とトラック環礁に向けて進撃を開始した。米軍の真の狙いは果たしてどちらなのか!?
昭和16年12月に生起した東シナ海海戦(米側呼称:バトル・オブ・ミヤコ・アイランド)で見るも無残な敗北を喫した米海軍は、雪辱を期して「デラウェア級」をしのぐ巨大新鋭戦艦「コネチカット級」2隻を竣工させ、太平洋艦隊に編入した。昭和17年5月5日、米太平洋艦隊はハワイ・真珠湾を出港する。目指すは、日本海軍が主だった艦隊と基地航空隊を集結させているトラック環礁だ。中部太平洋の制海権をめぐって激突する日本機動部隊と米太平洋艦隊!日本は“航空要塞”トラックを死守できるのか!?-。
日中戦争の戦火を逃れて北京から南京に移送される数十万点の故宮名宝を奪取せよ!黄塵の大地8000キロを駆け巡る壮絶な攻防。戦乱に翻弄される「人類の遺産」を死守する人間の過酷な運命を描く書き下し冒険アクションの巨編。
“ビッグY”に安らぎのときは訪れようとしなかった。1975年4月29日、南ベトナムの首都サイゴン沖-。長きにわたる泥沼の戦争はさらに深みを増し、多くの人々を苦しめていた。平和裡の解決を目指した和平協定は裏切りと謀略の末、アメリカが守り続けた南ベトナムをついに崩壊へと導いていく。ことここに至っては、アメリカにできることは一つしかなかった。「サイゴンが陥落する前に在南ベトナムの合衆国国民約1000名、南ベトナム政府の要人とその家族約6000名を救出、収容せよ」これが“ビッグY”こと「モンタナ」を含む第七艦隊が受けた最後の命令であった。今なお世界最大最強の45口径46センチ砲が上向き、発射準備をする。我らの「大和」が眠りにつく日は来るのか…。
「鋼鉄のレヴァイアサン」-旧ソビエトの超大型艦を、西側の軍事評論家は畏怖と賛嘆をこめてこう呼んだ。全長400メートル、最大幅50メートル。太平洋戦争で航空優勢が確立されず、大艦巨砲主義が定説の世界では、核兵器に匹敵する脅威である。その巨艦が199X年、突如竹島沖に出現した!目的は何か?日本海の荒波のごとく、日米露三国の死闘が繰り広げられる。
「いくぞ!」一声かけて気合いを入れると、機首をぐいと押し下げ、20度の降下角度で緩降下を開始する。増速しつつ高度2000まで降下、そこから角度を45度まで上げて急降下に入る-という教科書通りのやり方だ。金星エンジンのうなりがみるみる高まり、冬の相模湾の冷え切った大気が音を立てて風防の脇を流れ去る。「900…800…700…600!」の声を耳にした瞬間、これまで聞いたことのない異様な音を耳にした。「超八八艦隊計画の装甲板破壊の失敗」にはじまる、大好評シリーズ第三弾もまた快進撃だ。
昭和20年8月15日、「大和」は夕日の中にその姿をとどめていた。降伏文書の調印を終えた2週間後、呉にも進駐軍が大挙して押し寄せ、旧海軍艦艇の接収作業が開始された。むろん「大和」も例外ではなかった。ミッドウェーをはじめ重要な戦局で常に勝利を収めた名将レイモンド・スプルアンスが太平洋艦隊への編入を強く望んだのである。米海軍は、「大和」を改修するとともに、操艦技術を習得させるために、旧乗組員たちを軍属扱いで乗艦させた。日米の乗員たちが手を携える、ようやく訪れた平和であった。が、安息の日々は長くは続かなかった。昭和25年6月25日未明、北朝鮮軍が韓国へ侵攻したのである。それは、新たなる「大和」の旅立ちとなった。
昭和二十年八月、満州国国境はソ連軍によって突破され、各都市はソ連戦車により蹂躙されつつあった。もともと海軍重視である日本国において日陰者である陸軍、満足な対戦車火器を持たない関東軍にあって、唯一抗しえた部隊である栗林忠道中将指揮下の第七戦車師団は、居留民を無事に後方に逃すため玉砕の道を選択する。軍隊とは本来自国民を守るために存在する。時を同じくして海軍の一部隊も避難民を逃すために圧倒的に優勢なソ連海軍に突撃をかける。
敗色迫る昭和19年末-母港呉に向かってひた走る巨艦があった。日本海軍に残された最後の切り札、不沈空母「信濃」である。追いすがる米潜水艦の魔手からどうにか逃げのびた乗組員たちだったが、このとき成し遂げた偉業にまだ気づかずにいた。彼らは海軍の希望を守り通すことで、呉で待つもう一艦に奇跡とも呼ぶべき幸運をもたらしたのである。翌20年4月、連合艦隊最後の水上部隊に出撃命令が下された。もはや生還の望みなどない第二艦隊死出の旅立ちであった。しかし二艦隊旗艦、帝国海軍いや日本が誇った世界最大で最強の戦艦の行く末を、神のほかに何人が知りえたであろうか…。誰も知らない「大和」の新たなる歴史が始まろうとしていた。
八八艦隊計画で実現しなかった「信濃」の船体、主砲と、米の「ジョージア」の艦橋、五インチ両用砲、四十ミリ機銃をつなぎ合わせた戦艦「フロリダ」が戦後、建造された。太平洋戦争における日米最大のライバル艦をマイアミに記念艦として保存するには、ある意図があった。一九六二年にキューバとソ連が企てた無謀な挑戦、世界が全面核戦争の脅威にされされた、あの一ヶ月以上にわたる紛争「キューバ危機」において最も活躍したのは、この異形の合成獣であったからだ。-八八艦隊物語シリーズの著者が放つ渾身の本格戦記傑作。
昭和18年10月、佐世保海兵団の講堂に「瀑竜」訓練部隊の隊員150名が集結していた。彼らは巡洋艦や駆逐艦で魚雷を扱う者、海軍航空隊の整備員のなかの寄せ集めのグループだった。訓辞が始まった。諸君の手にゆだねられる高速雷撃艇「瀑竜」は、高い技術を持つ兵士と一撃必殺の破壊力を持つ兵器による少数精鋭で当たれば、敵の新鋭艦も恐るに足りない-「瀑竜戦記」と、黄砂哭く中国東北で繰り広げられた日露の対戦を雄渾に描く「秋山支隊、挺進す」によって補強される「八八艦隊物語」の世界、横山信義が贈る傑作篇。
後年、米ソ二大列国の権威の崩壊をある歴史家は、「世界的規模の応仁の乱」と呼んだ世紀末、日本は隣国の大動乱によって国際活動専門部隊の設立を余儀なくされた。国連による北朝鮮に対するPKO実施決定を受けての派遣である。日韓両国内は騒然となり、対立する国民感情を鑑みて、国連事務総長は「交換PKO」方式を提案した。すなわち、朝鮮半島は利害関係の少ない西欧諸国が行ない、日本はアジア、アフリカ、中南米の地域を引き受けるというものだ。西暦2003年、陸上自衛隊第一国際旅団はついにエトロフへ-。
グラマンF6F72機がトラック島東北東から迫りつつあった。海戦の主役が空母から航空機に移った昭和十九年、日本海軍創設以来、最も長い悪夢が始まった-横山信義『我、奇襲に成功せり』。慶応四年、新政府に江戸城を明け渡した徳川幕府の陸軍部隊が、武器を携って消えた。激戦の宇都宮攻防戦を描く-大山格『アッカラケ』。最強のファイター・パイロット三名が太平洋上でベイルアウトする事故が発生。その瞬間、異常な体験に襲われたイーグル・ファイターの極限風景は。-佐藤大輔『晴れた日はイーグルにのって』。書下し競作ヒストリカル戦記。
「よし、Z旗一旒!」大和のメインマストに赤黄青黒四色のZ旗が翻った。「皇国の興廃この一戦にあり。各員、一層奮励努力せよ」を意味する、連合艦隊の勝利と栄光の象徴が掲げられるのは、この大戦で通算3度目そして史上通算4度目だ。第一艦隊を率いる近藤信竹大将は、ウィリス・リーの第一任務群と遭遇していた。正面の空には、グラマンF6Fヘルキャット約200機が双眼鏡に認められた。日本海軍誕生以来、最強の戦艦群を率いて米海軍の最新鋭戦艦と戦う一大決戦。完結篇。
(あれだけの規模の修理を、最前線で行うとは…。)海軍の艦上偵察機「彩雲」の機長・千早猛彦は、わずか三か月半前のトラック沖海戦で「大和」「鞍馬」と同等以上の被害を受けて着々と回復してゆく姿を何度か見ていた。だが、この日、メジュロ環礁内の雲下には一隻の艦艇、一機の戦闘機、一人の兵士の影も発見できなかった。米軍はどこに来寇するのか。呉鎮守府の作戦会議に居並んだ幕僚たちの表情に緊張が走った。「我が軍の全艦が修理を終えるのに、あと三か月…」それまでの迎撃は、航空機による戦艦撃沈しか途はなかった。
昭和18年1月、マッカーサー元帥が率いる南西太平洋方面連合軍によってポート・モレスビーから叩き出された第35旅団は、ブナを目指して、撤退を開始した。豪州方面艦隊司令長官・南雲忠一中将から「生きて還れ!」と海中へ突き落された松尾次郎少尉もこの中にいた。オーストラリア軍の追撃と米軍の地上攻撃にさらされ、行く手には標高数千メートルのオーエンスタンレー山脈が阻んでいた。彼らの食料空輸のために零戦隊を率いた西沢広義は、敵編隊を発見し舌打ちした。「新型機か?こいつは強敵だ」-。渾身の第3弾。
巨艦の群れは、よろばうように入港して来た。3隻の空母を除き、排水量1万トン以上の艦で、無傷のものは1隻もない。爆炎になでられ艦上構造物は完膚なきまでに破壊されている。マーシャル沖海戦で壮絶な戦死を遂げたキンメルに代わって米太平洋艦隊司令長官に就任したチェスター・ニミッツは、この無惨な帰還を復仇の炎に燃える眼で眺めていた。「黄色いならず者め!」日本の勝利は条約違反して18インチ砲戦艦を投入した卑劣な行為によるものだ。太平洋に敵影なし-日本は大勝の熱狂に酔っていたが…。傑作第2弾。
「大正6年8月28日に本艦の工事を開始して以来、今や艦隊の完成を見るに至った。ここに、本艦を『長門』と命名するものである」大正8年11月9日広島県呉軍港で“鋼鉄の浮かべる城”は誕生した。日本海海戦以来、僅か13年、国防の基本を海として強力な戦艦部隊でこれを守るという構想-戦艦8隻、巡洋艦8隻を基幹とする88艦隊計画が樹てられたのである。『長門』に続く15隻、海軍の夢は着実に実現しつつあったが…激動の世界史に抗う東洋の島国にとって、これは苛酷な試練の序曲だった。大型新人の渾身の大作。