著者 : 横山信義
日本軍は第三次ビスマルク海戦に敗れ、ビスマルク諸島の制圧に失敗。以降、機動部隊で米輸送船団を叩くことで、補給線寸断を狙う戦略を採る。しかし、対する米国もトラック島沖にて日本輸送船団を攻撃し、戦局は膠着の一途を辿っていた。一方、欧州戦線では米英ソの三国を一度に相手取るドイツに疲弊が目立ち始める。中立を守るイタリアを動かすため、米軍はマルタ島に進出。外交戦が活発化する中、ソロモン島沖にて輸送船を狙う連合艦隊と、防衛にあたる太平洋艦隊がついに激突。巨大空母四隻による一大決戦が幕を開ける。両陣営、新型戦闘機を導入した戦闘の行方はーー?
空母三隻を撃沈された米国は、豪州領ビスマルク諸島に進出。ここを拠点とし、B17によるトラック諸島爆撃作戦を展開する。長距離爆撃が可能な機材を持たない日本軍は、水上砲戦部隊を投入。艦砲射撃でビスマルク諸島の米航空基地を破壊する策に出るが、米軍の基地設営能力は想像を上回る。幾度破壊しても再建される姿は、「不沈空母」と呼ぶべきものだった。一方、欧州ではドイツが英本土への上陸作戦に失敗。背後を窺うソ連にも不穏な動きがー。風雲急を告げる世界情勢の中、連合艦隊は「金剛」「榛名」を中心とした戦力を集結。夜陰に紛れ、要塞と化したビスマルク諸島を急襲する!
公試中の「大和」沈没という逆境の中、ハワイ沖海戦に勝利した第一航空艦隊。日本はその勢いのまま南方作戦を完了した。作戦の第二段階として、連合艦隊首席参謀・澄川道男は撃ち漏らした米空母撃滅のための秘策を立案する。一方、アメリカはイギリスに再三の対日参戦を要求するも、対独戦の激化を背景に拒否を受ける。ソ連も対独参戦を保留、欧州戦線は膠着する。痺れを切らした米太平洋艦隊は、戦力を真珠湾に集結し反攻を開始。グアム沖にて史上初の空母決戦が幕を開ける!
一九四一年十二月七日。真珠湾攻撃の当日にあたるこの日、宿毛湾では戦艦「大和」の公試運転が行われていた。誰もが世界最大戦艦の偉容を見守る中、海面下には潜水艦の影が蠢いていた。さらに、真珠湾に向かう日本軍の第一航空戦隊は、航行中に米太平洋艦隊に補足されてしまいーー。日本軍は、絶体絶命の窮地を覆すことができるのか? 著者渾身の新シリーズ、ここに開幕!
戦艦「伊勢」「山城」の轟沈と引き替えに、日本軍は最重要拠点であるトラック環礁の防衛に成功した。しかし敵部隊への索敵の遅れから防戦を強いられる。旗艦「大和」が奮戦する中、ついに索敵機が補給中の敵艦を発見。機動部隊同士の闘いに向け、新型機「零戦三三型」「彗星」が発艦する。一方で米太平洋艦隊は、英艦隊と連携し艦隊戦の構えを取る。「大和」「武蔵」と米英の最強戦艦。太平洋の派遣を握るのは、誰だ! シリーズ堂々完結。
連合艦隊はマーシャル諸島を放棄し、トラック環礁へ後退。空母「加賀」「瑞鳳」を失うなどの痛手を負ったが、米国との戦力差を埋める時間を稼ぐという作戦目的を達成した。 一方、欧州前戦ではソ連の崩壊が間近に迫る。崩壊後の利害関係をめぐり、ロシア帝国とドイツの間にはただならぬ緊張感が生まれていた。ユーラシア大陸が混沌に包まれるなか、米・英の大編隊が日本の最重要拠点となったトラック環礁に来襲。ついに実戦配備された新型零戦は、皇国の窮地を救えるのか。シリーズはいよいよ佳境へ!
1943年11月、米海軍は日本の根拠地マーシャル諸島を制圧し、新鋭巨大戦艦「ネブラスカ級」2隻をはじめとする太平洋艦隊の主力が、メジュロ、クェゼリンの二大環礁に集結する。翌44年2月、万全の態勢を整えた米太平洋艦隊は戦力を二分し、それぞれマリアナ諸島とトラック環礁に向けて進撃を開始した。米軍の真の狙いは果たしてどちらなのか!?
昭和16年12月に生起した東シナ海海戦(米側呼称:バトル・オブ・ミヤコ・アイランド)で見るも無残な敗北を喫した米海軍は、雪辱を期して「デラウェア級」をしのぐ巨大新鋭戦艦「コネチカット級」2隻を竣工させ、太平洋艦隊に編入した。昭和17年5月5日、米太平洋艦隊はハワイ・真珠湾を出港する。目指すは、日本海軍が主だった艦隊と基地航空隊を集結させているトラック環礁だ。中部太平洋の制海権をめぐって激突する日本機動部隊と米太平洋艦隊!日本は“航空要塞”トラックを死守できるのか!?-。
日中戦争の戦火を逃れて北京から南京に移送される数十万点の故宮名宝を奪取せよ!黄塵の大地8000キロを駆け巡る壮絶な攻防。戦乱に翻弄される「人類の遺産」を死守する人間の過酷な運命を描く書き下し冒険アクションの巨編。
“ビッグY”に安らぎのときは訪れようとしなかった。1975年4月29日、南ベトナムの首都サイゴン沖-。長きにわたる泥沼の戦争はさらに深みを増し、多くの人々を苦しめていた。平和裡の解決を目指した和平協定は裏切りと謀略の末、アメリカが守り続けた南ベトナムをついに崩壊へと導いていく。ことここに至っては、アメリカにできることは一つしかなかった。「サイゴンが陥落する前に在南ベトナムの合衆国国民約1000名、南ベトナム政府の要人とその家族約6000名を救出、収容せよ」これが“ビッグY”こと「モンタナ」を含む第七艦隊が受けた最後の命令であった。今なお世界最大最強の45口径46センチ砲が上向き、発射準備をする。我らの「大和」が眠りにつく日は来るのか…。
「鋼鉄のレヴァイアサン」-旧ソビエトの超大型艦を、西側の軍事評論家は畏怖と賛嘆をこめてこう呼んだ。全長400メートル、最大幅50メートル。太平洋戦争で航空優勢が確立されず、大艦巨砲主義が定説の世界では、核兵器に匹敵する脅威である。その巨艦が199X年、突如竹島沖に出現した!目的は何か?日本海の荒波のごとく、日米露三国の死闘が繰り広げられる。
「いくぞ!」一声かけて気合いを入れると、機首をぐいと押し下げ、20度の降下角度で緩降下を開始する。増速しつつ高度2000まで降下、そこから角度を45度まで上げて急降下に入る-という教科書通りのやり方だ。金星エンジンのうなりがみるみる高まり、冬の相模湾の冷え切った大気が音を立てて風防の脇を流れ去る。「900…800…700…600!」の声を耳にした瞬間、これまで聞いたことのない異様な音を耳にした。「超八八艦隊計画の装甲板破壊の失敗」にはじまる、大好評シリーズ第三弾もまた快進撃だ。
昭和20年8月15日、「大和」は夕日の中にその姿をとどめていた。降伏文書の調印を終えた2週間後、呉にも進駐軍が大挙して押し寄せ、旧海軍艦艇の接収作業が開始された。むろん「大和」も例外ではなかった。ミッドウェーをはじめ重要な戦局で常に勝利を収めた名将レイモンド・スプルアンスが太平洋艦隊への編入を強く望んだのである。米海軍は、「大和」を改修するとともに、操艦技術を習得させるために、旧乗組員たちを軍属扱いで乗艦させた。日米の乗員たちが手を携える、ようやく訪れた平和であった。が、安息の日々は長くは続かなかった。昭和25年6月25日未明、北朝鮮軍が韓国へ侵攻したのである。それは、新たなる「大和」の旅立ちとなった。
昭和二十年八月、満州国国境はソ連軍によって突破され、各都市はソ連戦車により蹂躙されつつあった。もともと海軍重視である日本国において日陰者である陸軍、満足な対戦車火器を持たない関東軍にあって、唯一抗しえた部隊である栗林忠道中将指揮下の第七戦車師団は、居留民を無事に後方に逃すため玉砕の道を選択する。軍隊とは本来自国民を守るために存在する。時を同じくして海軍の一部隊も避難民を逃すために圧倒的に優勢なソ連海軍に突撃をかける。
敗色迫る昭和19年末-母港呉に向かってひた走る巨艦があった。日本海軍に残された最後の切り札、不沈空母「信濃」である。追いすがる米潜水艦の魔手からどうにか逃げのびた乗組員たちだったが、このとき成し遂げた偉業にまだ気づかずにいた。彼らは海軍の希望を守り通すことで、呉で待つもう一艦に奇跡とも呼ぶべき幸運をもたらしたのである。翌20年4月、連合艦隊最後の水上部隊に出撃命令が下された。もはや生還の望みなどない第二艦隊死出の旅立ちであった。しかし二艦隊旗艦、帝国海軍いや日本が誇った世界最大で最強の戦艦の行く末を、神のほかに何人が知りえたであろうか…。誰も知らない「大和」の新たなる歴史が始まろうとしていた。
八八艦隊計画で実現しなかった「信濃」の船体、主砲と、米の「ジョージア」の艦橋、五インチ両用砲、四十ミリ機銃をつなぎ合わせた戦艦「フロリダ」が戦後、建造された。太平洋戦争における日米最大のライバル艦をマイアミに記念艦として保存するには、ある意図があった。一九六二年にキューバとソ連が企てた無謀な挑戦、世界が全面核戦争の脅威にされされた、あの一ヶ月以上にわたる紛争「キューバ危機」において最も活躍したのは、この異形の合成獣であったからだ。-八八艦隊物語シリーズの著者が放つ渾身の本格戦記傑作。
昭和18年10月、佐世保海兵団の講堂に「瀑竜」訓練部隊の隊員150名が集結していた。彼らは巡洋艦や駆逐艦で魚雷を扱う者、海軍航空隊の整備員のなかの寄せ集めのグループだった。訓辞が始まった。諸君の手にゆだねられる高速雷撃艇「瀑竜」は、高い技術を持つ兵士と一撃必殺の破壊力を持つ兵器による少数精鋭で当たれば、敵の新鋭艦も恐るに足りない-「瀑竜戦記」と、黄砂哭く中国東北で繰り広げられた日露の対戦を雄渾に描く「秋山支隊、挺進す」によって補強される「八八艦隊物語」の世界、横山信義が贈る傑作篇。
後年、米ソ二大列国の権威の崩壊をある歴史家は、「世界的規模の応仁の乱」と呼んだ世紀末、日本は隣国の大動乱によって国際活動専門部隊の設立を余儀なくされた。国連による北朝鮮に対するPKO実施決定を受けての派遣である。日韓両国内は騒然となり、対立する国民感情を鑑みて、国連事務総長は「交換PKO」方式を提案した。すなわち、朝鮮半島は利害関係の少ない西欧諸国が行ない、日本はアジア、アフリカ、中南米の地域を引き受けるというものだ。西暦2003年、陸上自衛隊第一国際旅団はついにエトロフへ-。
グラマンF6F72機がトラック島東北東から迫りつつあった。海戦の主役が空母から航空機に移った昭和十九年、日本海軍創設以来、最も長い悪夢が始まった-横山信義『我、奇襲に成功せり』。慶応四年、新政府に江戸城を明け渡した徳川幕府の陸軍部隊が、武器を携って消えた。激戦の宇都宮攻防戦を描く-大山格『アッカラケ』。最強のファイター・パイロット三名が太平洋上でベイルアウトする事故が発生。その瞬間、異常な体験に襲われたイーグル・ファイターの極限風景は。-佐藤大輔『晴れた日はイーグルにのって』。書下し競作ヒストリカル戦記。