著者 : 管啓次郎
詩人・エッセイスト・翻訳家であり、日本文学最高の文章家の一人とも言われる管啓次郎による初の小説集。 未知の人生たちーー。 ありそうでなさそうな、なさそうでありそうな……。 そんな時代と場所と人物が、まじわり、飛びこえ、 現代によみがえるもう一つの小さな世界。 異郷(ヘテロトピア)への旅物語。 この100 年の東京へのアジア系移民たちの物語をつむぐ巡礼型演劇作品「東京ヘテロトピア」(Port B)のために書かれた5篇にはじまり、北投(台湾)、ピレウス(ギリシャ)、リガ(ラトヴィア)、アブダビ(アラブ首長国連邦)、ヘルダーリンの小径(ドイツ)へ。中篇「三十三歳のジョヴァンニ」、対話劇「ヘンリと昌益」も併録。 1 ヘテロトピア・テクスト集 言葉の母が見ていた(ショヒド・ミナール、東京) 神田神保町の清頭獅子頭(チンドゥンシーズートウ)(漢陽楼、東京) 本の目がきみを見ている、きみを誘う。旅に(東洋文庫、東京) 小麦の道をたどって(シルクロード・タリム、東京) 川のように流れる祈りの声(東京ジャーミィ、東京) 北投の病院で(北投、台湾) 北投、犬の記憶(北投、台湾) ピレウス駅で(ピレウス、ギリシャ) 港のかもめ(リガ、ラトヴィア) アブダビのバスターミナルで(アブダビ、アラブ首長国連邦) パラドクスの川(ヘルダーリンの小径、ドイツ) 2 もっと遠いよそ 野原、海辺の野原 そこに寝そべっていなかった猫たち 偽史 三十三歳のジョバンニ ヘンリと昌益 川が川に戻る最初の日 跋
2018年、ノーベル文学賞の代替賞ニュー・アカデミー文学賞を受賞したカリブ海作家の自伝色の濃い代表的長篇小説を復刊。原著は1987年刊。 二十世紀カリブの〈悪辣な生(ラ・ヴィ・セレラト)〉を生きたルイ家四代の物語。 グアドループ島から、パナマ運河を越え、大西洋を渡る……惑星規模のピカレスク大作。
「種明かしをするわけにはいかないので、ここではただ、この本を書いているあいだ、感じやすい(sensitiveである)とはどういうことかについてたくさん考えていた、とだけいっておきましょう」--エイミー・ベンダー 9歳の誕生日、母がはりきって作ってくれたレモンケーキを一切れ食べた瞬間、ローズは説明のつかない奇妙な味を感じた。不在、飢え、渦、空しさ。それは認めたくない母の感情、母の内側にあるもの。 以来、食べるとそれを作った人の感情がたちまち分かる能力を得たローズ。魔法のような、けれど恐ろしくもあるその才能を誰にも言うことなくーー中学生の兄ジョゼフとそのただ一人の友人、ジョージを除いてーーローズは成長してゆく。母の秘密に気づき、父の無関心さを知り、兄が世界から遠ざかってゆくような危うさを感じながら。 やがて兄の失踪をきっかけに、ローズは自分の忌々しい才能の秘密を知ることになる。家族を結び付ける、予想外の、世界が揺らいでしまうような秘密を。 生のひりつくような痛みと美しさを描く、愛と喪失と希望の物語。
太古の噴火が湖をつくり、流れが生まれ、その先に人が町を作った…。十和田湖・奥入瀬渓流・十和田市に魅了された作家たちによる、地誌とフィクションが融合する新たな試み。複数の時が重なる青森の土地を気鋭の作家たちがめぐる物語をつむぐ。
10歳の誕生日から、「止めること」をはじめたモナ。大好きなピアノも何もかも。20歳を迎え、ある町の小学校で算数を教えはじめた時、閉じていた彼女の宇宙に変化が起こるーー。
人間から逆進化してゆく恋人、戦争で唇を失いキスができない夫、父親が死んだ日に客たちとセックスする図書館員、火の手と氷の手をもつふたりの少女……想像と言葉の魔法を駆使して紡がれる、かつてない物語。不可解なのに現実的、暗くて明るく、哀しくて愛おしい。アンビバレントなものたちから放たれる、奇跡的な煌めきの中に、私たちはいつしか呑み込まれ、圧倒され、胸をつかまれるーー。 その独特な世界観でファンを魅了し続けるエイミー・ベンダーの、デビュー作にしてゆるぎない傑作短編集。文庫版特別付録として掌編「夜」を日英対訳で掲載! 解説:堀江敏幸 【目次】 思い出す人 私の名前を呼んで 溝への忘れもの ボウル マジパン どうかおしずかに 皮なし フーガ 酔っ払いのミミ この娘をやっちゃえ 癒す人 無くした人 遺 産 ポーランド語で夢見る 指 輪 燃えるスカートの少女 訳者あとがき 解説 堀江敏幸「さびしいと思っていた世界に抱きしめられること」 特別付録 Night 「夜」(対訳)
世界中に存在するあらゆる国境のなかで、アメリカ合衆国とメキシコとの境界を画すボーダー地帯ほど「熱い」国境はない。国家を国境線で区切ってゆくような思考法は、もはや現実に起こっている現象を上手につかまえることができなくなった。本書は、世界がそうした新しい移動の論理を含み込んだ社会システムの発見へ向けて脱皮しようとしているときに、その流れの先頭に立って私たちを先導しようとしている。