著者 : 青来有一
私たちは、過去を静かに見つめてみるべきなのだ。 遠藤周作、林京子……先達の祈りを胸に 戦場や爆心地を書き継ぐ作家の最新作品集。 【収録作品】 「沈黙のなかの沈黙」--禁教時代の殉教をテーマに、遠藤周作は 『沈黙』という大きな物語を作り上げた。だが、 どんな人にもささやかな祈りはあるのではないか。 「小指が燃える」----「私」のもとへ、「小説は売れて読まれねば」と言いきる 元政治家の先輩作家と、原爆体験を書き続ける 女性作家の幻が交互に訪れて……
長崎の被爆にこだわりつづける芥川賞作家の、思索と創作イメージの深まりを示す2篇。 原爆で妻と子どもを喪った自由律俳句の俳人、松尾あつゆきの日記を読みながら、「被爆者の証言やエピソードを粘土のようにこねまわして物語(フィクション)をこしらえてきた」自分へのうしろめたさを意識する「わたし」。林京子さんの「自由に書いていいのですよ」という言葉から、さらなるイメージの飛翔がはじまるーー。【「愛撫、不和、和解、愛撫の日々」】 戦争を経験し、原子爆弾の光景を目撃した父の病死。家族と葬儀の準備をしながら「わたし」は、言葉をもたず、その光景を語らなかった父のかわりに、「感傷に流されることなく人間のしわざを告発するなにかを書くことができないか」、模索を始める。 愛読してきた作品……フォークナーの『八月の光』や宮沢賢治の『よだかの星』、アンリ・デュナンの『ソルフェリーノの記念』やクロード・シモンの『フランドルへの道』にインスピレーションを得て文体を掴み取り、「廃墟のなかをさまよう十六歳の父の内奥にしみこんでいった被爆の実相」を書こうと試みる。 それが「しょせんは想像でしかない」、「なにもわかりもしない」、なぜなら「わたしたちはついに語り合えなかった」のだから、と自らを戒めながらも、作家は想像力の翼をひろげ、その日の長崎を描き出そうとする。【「悲しみと無のあいだ】
男は元戦場カメラマン。逢瀬の夜、女に語り始めたのは、長崎の町で掘り出した喉仏の骨、黒こげの殉教者の記憶、30年前の雪の日の爆心地での教皇の祈りだった…。戦後70年、紛争の世紀に切り込む衝撃作。
殉教の火、原爆の火に焼かれながら、人はなぜ罪を犯し続けるのか?「聖水」で芥川賞を受賞した著者が、欲望と贖罪、死とエロスの二律背反の中で苦悩し歓喜する人々を描いた連作短編集。人間の内奥を圧倒的な物語性の中で展開し、谷崎潤一郎賞、伊藤整文学賞の二つの文学賞を同時受賞した衝撃的作品。
私がだれでありどこからきたのか、六十年以上の時が流れて私にはもう調べるすべもない。わかっているのは私は昭和二十年八月九日十一時二分の白い光の中から現れたことだけである。私の戸籍上の誕生日はその日になっている(「鳥」)。被爆地で生きる人々の原体験と、その後の日常を描く作品集。
「聖水」は本当に奇蹟の水なのか。佐我里さんは教祖か、詐欺師か?死を目前に衰弱しながらも、聖水の効用を信じ続ける父と、佐我里さんの商法に反発を覚える息子。スーパーの経営権を巡る騒動と、新興宗教の様相をおびる聖水信仰。死にゆく者にとっての救済とは何かを問う芥川賞受賞作を始め、4篇を収録。
2040年、土曜日の朝、40歳になった教授は、愛宕山の家で、小鳥たちのさえずりを聞きながら目覚める。未来都市東京は、いたる所で木漏れ日が揺れているエコロジー都市である。素粒子論の研究にいきづまっている教授は、土曜日の午後を、研究室の助手である愛人と過ごす時間に、無上のエロスの喜びを見出しているのだが、最近、その愛人と若い研究者の関係を疑い、不安と嫉妬に揺れていた…。静謐な未来都市の無明!40年後、新しい奇病、変わらぬ男女の煩悶。
昭和十年に始まった芥川賞が百一回を迎えたのは、日本近代文学の流れによりそうかのように、奇しくも時代が昭和から平成へと移ったときでした。第百回までの全受賞作を収録して好評を博した第一期・第二期十四巻に引き続き、文芸春秋八十周年記念出版として刊行される芥川賞全集第三期五巻は、新時代の文学の息吹を生き生きと伝える第百二十五回までの受賞作二十九篇を収録、既刊同様、選評、受賞者のことば、自筆年譜を併載しています。