出版社 : 岩波書店
人はなぜ変わってしまうのか?罪と罰とは?人は堕落し、何かがきっかけとなって立ち直る。老作家は、痛みと苦しみを経て愛によってよみがえる人間の内面の復活をひたむきに問う。問いは問いを生み、容易に答えは出ない…。19世紀の終焉を目前にし、リアリズムを徹底した果てに、トルストイはついにそれを突き抜けた。
一八〇五年夏、ペテルブルグ。上流社会のパーティに外国帰りの奇妙な青年ピエールが現れる。モスクワでは伯爵家の少女ナターシャが名の日の祝いに平和を満喫。一方従軍するアンドレイ、ニコライらに戦火は迫りー対ナポレオン戦争を描いて世界文学史に輝く不滅の名作!新訳。
愛の理念のもと、人間の復活とは何かを問う後期の大作。老トルストイは世の中にはびこる虚偽と悪に鋭く厳しい眼差しを向ける。殺人事件の陪審員として法廷に出たネフリュードフは、容疑者の娼婦が、かつて自分が誘惑して捨て去った叔母の家の小間使いカチューシャであることに気づき、良心の呵責にさいなまれる。
五感を越える「感覚」で世界を捉え、哀感とユーモア、エロティシズムをも湛える独特の表現が今なお新しい尾崎翠(一八九六ー一九七一)。奇跡のような作品群から代表作「第七官界彷徨」と緩やかに連なる四篇、没後発見の映画脚本草稿「琉璃玉の耳輪」を収録。
イタリアの寒村に育った私生児のぼくは、人生の紆余曲折を経て、故郷の丘へ帰ってきたー。戦争の惨禍、ファシズムとレジスタンス、死んでいった人々、生き残った貧しい者たち。そこに繰り広げられる惨劇と痛ましくも美しい現実を描く、パヴェーゼの最高傑作。
冬に向かうパリ、「私」をめぐる景色は移ろうー「花咲く乙女」とベッドで寄り添い、人妻との逢い引きの夢破れ、ゲルマント夫人の晩餐には招待される。上流社交界の実態、シャルリュス男爵の謎、予告されるスワンの死…。人間関係の機微を鋭く描く第七巻。
唐宋伝奇の源流は六朝時代の怪異譚に求められるが、唐代になると、意識的に奇異なものを追求して曲折に富む複雑な筋立てにし、修辞も凝るようになる。こうして文学と呼ぶにふさわしい創作ジャンルが確立する。武田泰淳は、これを、ヨーロッパの近代的短篇にも劣らぬ、常に新しさを失わぬ芸術品の結晶であるといった。
『南柯の一夢』の主人公は官僚を嘲笑する自由人である。そういう男が役人になって栄達の限りをつくし、得意と失意をたっぷりと味わう。味わったところで夢からさめ、槐の根もとを掘るとどうだろう、夢みたとおりの小さな蟻の王国があったのだ。唐代伝奇の面白さは、幻想を追っているようで実は深く現実の人間の本質をついているところにある。(全二冊)
一代で巨万の富を築いた親のもとに一人息子として生まれたラルボーは、家業を継ぐことを拒み、富裕な好事家、教養豊かな通人として、国境を軽々と越えるコスモポリタンの生涯を全うした。意識の流れを“内的独白”の手法で書いた、印象、感覚、夢想、風景の鮮やかさが清新な中篇『秘めやかな心の声…』を併録。
「悪霊がいる」と噂がたつほど寂れきった大観園。勢いを失った賈家にとどめを刺すかのように、一族の過去の不正が次々に摘発される。失意のうちにおばあさまが亡くなり、王煕鳳も病死。混乱の中で、宝玉は再び太虚幻境を訪れ、少女たちの来歴と結末を悟るー。深い寂寥感と微かな希望とー不朽の名作、ついに完結!
ハックとジムは自由州への上陸に失敗。おまけにペテン師の王様と公爵まで背負いこんでしまった。筏の旅はなおも続く。-ヘミングウェイをして「現代アメリカ文学の源泉」とまで言わせたこの傑作を、練達の訳文に初版本の楽しい挿絵を豊富にちりばめて贈る。
私は宿命的に放浪者であるー若き日の日記をもとに記された、林芙美子(1903-51)生涯の代表作。舞台は第一次大戦後の東京。地方出身者の「私」は、震災を経て変わりゆく都市の底辺で、貧窮にあえぎ、職を転々としながらも、逆境におしつぶされることなくひたすらに文学に向かってまっすぐに生きる。全三部を収録。
旅と書物をこよなく愛したフランスの作家ラルボー(1881-1957)の代表作。短篇小説と詩と日記から成る“全集”という風変わりなこの作品は、いわば“逆向きの教養小説”だ。幼くして両親を失い、莫大な遺産を相続した主人公は、億万長者というばかげた境遇を捨て去り、一個の人間として生きるためにヨーロッパ各地を放浪する。
海棠の狂い咲きをきっかけに、通霊宝玉が失せ、貴妃元春が亡くなり、賈家の没落は現実となり始める。不安に駆られたおばあさまが宝玉の結婚相手として選んだのは、なんと黛玉ではなく宝釵だった。挙式の最中、思い出のハンカチを焼き捨てながら、ついに黛玉はー。
洋々たるミシシッピーの流れに乗って筏の旅を続ける陽気な浮浪児ハックと逃亡奴隷ジム。辺境時代のアメリカの雄大な自然と活力溢れる社会をバックに、何ものにもとらわれずに生きようとする少年と、必死に自由の境涯を求める黒人の姿をユーモラスに描く。
「本当の人間は妙に纏めにくいものだ。」十九歳の家出青年が巡る、「地獄」の鉱山と自らの心の深みー「虞美人草」と「三四郎」の間に著された、漱石文学の真の問題作。最新の校訂に基づく本文に、新聞連載時の挿絵を収録。
「私の名前はヴィクラム・ラルだ。アフリカでもっとも汚織にまみれた一人、異様かつ卑劣なまでに狡猾な詐欺師として広く知られている」-1963年、ケニア独立。そこには、西洋とアフリカ、支配と革命、無垢な友情と政治汚織の「狭間」を生き抜く、ひとりの男の生があった。ポストコロニアル文学の新境地を切り拓き、カナダの代表的文学賞・ギラー賞に2度輝いたヴァッサンジ、待望の本邦初訳。
マンハッタンに住む四十代の夫婦ピーターとレベッカ。ある日、ドラッグ中毒者である妻の弟ミジーとの同居が始まり、若さと愚かさの放つ強烈な輝きにピーターは憑りつかれてしまう。色褪せ始める夫婦の「そこそこの幸せ」。人生に夜の帳がおりようとする時、彼がとった選択とは?美と幻滅、倦怠と幸福をめぐる珠玉のストーリー。
モンテ・クリスト伯の仇敵たちが彼の正体を知るときは、すなわち身の破滅のときである。仕組まれた復讐の第一は、メルセデスの家出とモルセール伯の自殺で終わる。ヴィルフォールは肉親の相次ぐ毒殺に遭い、ダングラールは破産寸前まで追いつめられる。