出版社 : 本の泉社
あなたの戦争メモリアルデーはいつですか。終戦の8月15日?それとも被爆の8月6日、9日?9月18日、7月7日、12月8日はご存じですか。日本があの戦争を始めた日です。この短編小説集は、その日からの戦争と戦後を「団塊世代」が子・孫たちへと問いかけたものです。
またもう一度選ぶならこの大学をわたしは選ぶ。本館前の芝生の中で、もはや学生は輪になって集わない。占春園の池のほとりで、もはや学生はギターを持って歌わない。それでも日本のやさしい春は、その襞の中に育んだあざみのけなげな一本を、校門脇のコンクリートの狭間にわずかな土を見つけて置いていった。もしもう一度選ぶならこの大学をわたしは選ぶ。(本書所収「もう一度選ぶなら」)より。東京教育大学は、1960年代末〜70年代初頭の学園紛争で唯一、歴史を閉じた大学である。半世紀を経て、かつての日々を愛惜込めて追尋する珠玉の小説群。主人公たちが求めた自治と自由と民主は、もはや色あせてしまったのか。大学は確かになくなったが、たたかいは思想を生み、仲間を繋ぎ、彼らの人生を支えた。
「ほれ、佳乃も来い。皆で踊んべやー」耕さんが踊りに加わりながら手招きをすると、佳乃さんも来て加わった。「十五夜のー、月は出べし山を見上げで、それ踊りゃれー、吾が連れづれー」「はあー、ダダスコダー、ダダスコダー、ダンダンダダスコ、ダダスコダーダー」四人は輪になって踊った。月の光に照らされた高原は、影踏みができそうなほど明るかった。(「わが心、高原にあり」より)。種山ヶ原に星が降る。ダダスコダー、ダダスコダーと星が降る。心の奥がひらいてゆく。じわりじわりとひらいてゆく。震災後文学の異彩を放つ『わが心、高原にあり』。第23回長塚節文学賞短篇部門大賞『鱒』を併載。
凶作、飢饉から村人を救ったのはひとりの百姓の妻だった。今に伝わる越後の栃尾縞紬は、江戸天明・寛政期に生み出された。機織りの天才オヨと心ある庄屋の合作は、疲弊した村々を救った。双子の姉妹の糸に込めた思いが四季のめぐりと織り重なって…。
取材先のカンボジアで凶弾に倒れた恋人。哀しみ、怒り、遺志を胸に地方新聞の記者になった洋子。紀伊半島の過疎を狙ったいくつもの原発計画。義姉の死、残された幼い姪。天安門事件につづきソ連の崩壊…。洋子は向かい風に立つ。
潮が香り、砂が鳴く因幡の風が湾から谷へ吹いてくるー舞鶴軍港建設に貧窮脱出を賭けた因幡の部落民。だがそこには差別が残り、酷酷な労働は命を奪う。日本の「近代」は本当に「近代」なのか。水平社を模した八東社の旗が揺れる。
まだ夜が明けていなかった。南紀州の山々は古くから三千六百峰と呼ばれてきたが、その山々や各地に散在する村々を激しい春の風雨が襲っていた。一九一二(大正一)年のある晩春の夜明け、流域の山々や谷々の水を集めて富田川の濁流が勢いを増し、重いうなり声をあげて紀伊水道へと流れ込んでいた。(「第一部・灰色の雲」より)。
新渡戸が創設した札幌の夜学校。教えを心底ふかく宿す老女がつぶやく気象通報には…(『札幌遠友夜学校』)。稲造やその父・十次郎、祖父・伝たちの事績を、新渡戸につながる人たちが現代に受け継ぐ思い(『鞍出山の桜』)。愛媛県西予市の教会に残る署名のない新渡戸の扁額。戦時下の軍部批判発言とともにその真偽を探る(『新渡戸博士の扁額』)
名作「夏の花」(原題「原子爆弾」)を挟んで、戦争の日々と妻の死、8月6日の被爆、その後……時系列に佳作を編集。 核兵器禁止へ、あの時とあの思いを、戦後75年に今一度たどる。 原民喜はその小説の題を「原子爆弾」とした。 それ以外になかった。 しかし、そのままでは発表できなかった。 ─あれから75年。夏
お世辞にも上手とは言えない。 けれども、啄木の小説には何かある。 ずっと遠くを見たがっている。 彼の生涯をずっと辿っていくと、途中でせつなくなってくる……年譜を読んでいて、明治43年ぐらいのところにくると、あ、もうちょっとで死ぬ、と、ドキドキしてくる。すでに死んでいる人なのに、なぜかそういう錯覚に陥る……ほんとうに気になる詩人、あるいは歌人、あるいは小説家。この人をどう呼んでいいかわからないけれども、たぶん、日本の近代文学の最も優れた文学精神の持ち主だったと思います。 (右遠俊郎・作家) 《本文訂正》 p.326右から4行目:(一九五九年下半年)→(一九五九年下半期) 天鵞絨 鳥影 我等の一團と彼 啄木の小説について(右遠俊郎)
戦争から七年。灰燼まだくすぶる東京下町で、 白鬚橋のボルトの穴をラブレターの隠し場所にした 純なふたりの物語。 映画、TVドラマにもなった著者二十歳の記念碑的純愛小説。 映画(水野久美)、TVドラマ(山口百恵)でも好評。 「あの橋の上で……」と、私は考えた。 失業中の青年は、ある日、健康そのものの娘と出会い、ふとしたきっかけから、ささいな会話が交わされたとしよう。 二人はたがいに好感を確認するのに、時間はかからなかった。彼女は彼の鉄工場とは隅田川をへだてた対岸の、石けん工場に働く娘で、そして、それから……と私の想像力は、一組の貧しい恋人たちの明日へとつながってゆく。 (「あとがき」より)
長野県栄村は新潟県境に接した山のなかにある。一九五六年九月に下高井郡堺村と下水内郡水内村が合併して発足した。 平坦地は少なく、森林が八割を占める。耕地も狭く、わずかの田では自家で一年に消費するだけのコメはとれなかった。コメはせいぜい半年分を確保できればいい方で、あとは雑穀を主食がわりに、ようよう命をつないできた。 村人はこの貧食から抜け出そうとしていろいろ試みたが、山から湧きだす自然の用水は限られ、水田を広げようにも広げられなかった。村の大部分を覆う山林を眺めつつ、村人は幾世代にもわたってその思いを抱きつづけてきたのであった。 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 五月下旬、山の中腹には冷たい雪解け水がちょろちょろと足元を濡らして流れている。それが地下足袋の指先にジンジンと凍み込んでくる。村人は「野々海」が貯水ダムとなり、やがて黄金色の稲穂の垂れるのを夢見て働いていた。一服し、濡れた地下足袋を陽にかざす。見上げる彼方に「野々海」が待っている。(「天空の甕」より) 村人は貧食から抜け出そうとしていろいろ試みた。標高1000メートルの山頂に、周囲4キロメートルのくぼ地がある。毎年、豪雪を溜めこむが、春から夏へ、太陽に暖められて雪解け水となり、谷に流れ込む。「野々海」と村人は呼んだが、いうならば自然の水ガメである。この水を田に引き込むことはできないか。 (「天空の甕」より抜粋) 他、2話(開墾地の春/婿養子)を収録 天空の甕 開墾地の春 婿養子