著者 : 三浦綾子
1922年、北海道・旭川で生まれた私は、両親や兄弟姉妹の愛情に包まれながらも、体が弱かったせいか人一倍臆病な子供で、無気味さと淋しさ、不安や恐怖の入りまじった中にあったような気がする。しかし小学校にあがり、級友たちとのふれあいや人の死など様々なことを経験し、「生きる」とはどういうことかをおぼろげに感じ始めるー。愛と信仰と文学に生きた作家、三浦綾子の原点が鮮やかに描かれた、長編自伝小説。
恋愛に憧れ、義兄とボーイフレンドの間で揺れる多感な少女を通して、人を愛することの意味を問う表題作。父が五十二歳の時に生まれたことを恥じている主人公が、自分の誕生に至るまで、父がいかに苛酷な半生を送ったかを知る「この重きバトンを」他一編を収録。『氷点』でデビュー以後、作家活動の初期に発表されながら、二十年もの間、散逸していた三作を収めた幻の作品集。
不遇な少女の洗礼までを語る三浦文学の名作 北海道・旭川。浜野清美は母子家庭に育った。いじめにあい、大人への不信も募るなか、友達の事故死を目撃したのを黙っていたことや、母の愛人から弄ばれたことなどから清美は暗く無口な子となってゆく。だが、出生の秘密とともに知った信仰心篤い叔母の自分に対する深い愛情や、一人の少年との出会いにより、いつしか心の中に明るい光がともってゆく。……不遇な少女が、信仰に目覚め、23歳で洗礼を受けるまでの心の軌跡を綴る。
イエス様を乗せ、命ずるがままに行く小さなロバのようになりたい。敗戦後、旧満州から帰国。貧困を乗り越えて大学へ進学し、献身的に生きる道を突き進んだ熱血牧師の生涯。(解説・高野斗志美)
イエス様を乗せ、命ずるがままに行く小さなロバのようになりたい。敗戦後、旧満州から帰国。貧困を乗り越えて大学へ進学し、献身的に生きる道を突き進んだ熱血牧師の生涯。(解説・高野斗志美)
「エルサレムに入城するイエスさまを乗せた、小さな子ろばのようになりたい。〈主の用なり〉と言われたら、たとえ自分に力が無くとも、どこへでも出かけて行こう」-敗戦後の激動の満州から帰国した多感な青年・榎本保郎は、挫折を試練にかえて立ち直り、神の道への献身をこのように決意する。京都世光教会を創立し、今治教会を経て、アシュラム運動の発展のために全身全霊を捧げた、熱血牧師の52年の生涯。
殺戮と権謀に明け暮れた戦国時代に生まれながら、美と才をもって男の論理に抗した女性-細川ガラシャ。神への愛に自らをゆだねた清烈なその生涯を祈りとともに描いた著者初の歴史小説。
神に与えられた自然にふさわしく、人間もまた美しく創られたはずだ。だが、なぜ故なく人は傷つけ合わねばならないのだろう。愛し合いながら、ふとした運命のいたずらから、ついに結ばれることのなかった貴乃と孝介。大正末期から日本の敗戦に至る時代の波にもまれながら、二人がひたすら耐え、生き抜く姿を感動的に描く長編ロマン。
人生、夕方があれば朝も来る-15歳で家出をした健治は、旅館の下働きから日露戦争軍夫へ、北海道のタコ部屋から三越百貨店の宮中係へと、波瀾の道を歩む。そして信仰を得た彼がたどりついたのは、人の垢を洗うクリーニング業だった。-日本で初めてのドライ・クリーニングの開発、厳しい時代の信仰への圧力との戦い。苦難はなお続いた…。天が与えた職業とは何か!?クリーニングの〔白洋舎〕を興した五十嵐健治の生涯に、事業と信仰の根源を描く!
明智光秀の娘として何不自由なく育てられた玉子は、16になった時、織田信長の命令で細川忠興のもとに嫁ぐこととなった。女性が男性の所有物でしかなく、政略の道具として使われた時代に、玉子は真の人間らしい生き方を求めて行く…。実の親子も殺し合う戦国の世にあって、愛と信仰に殉じた細川ガラシャ夫人。その清らかにして熾烈な悲劇の生涯を浮き彫りにした著者初の歴史小説。
突然爆発した十勝岳の泥流は開拓部落に襲いかかり、一瞬にして、家族の命を奪い、田畠を石河原に変えた。地獄と化した泥流の地から離散していく人々もいるなかで、拓一・耕作兄弟は、祖父・父の苦労の沁み込んだ土地を、もう一度稲の実る美田にしたいと、再び鍬を手にする。そんな彼らに、さらに苦難が襲いかかる。苦闘の青春を描き、人生の報いとは何かを問う感動の完結編。