著者 : 海音寺潮五郎
承久の乱に勝利し、治天の君と称された後鳥羽院らを流罪とした「逆臣」でありながら、たった一枚の肖像画さえ存在しない鎌倉幕府二代執権・北条義時。謎に包まれたその姿を、小説・戯曲・論考から明らかにする。 2022年NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」視聴者必読! 彼は筋を通した。歴史の動きを見誤まらず、一つの、しかし多分に危機を伴うかもしれぬ決定を敢えてした。政治とはそういうものではないだろうか。東国内の主導権争いは政治以前の問題である。が、日本の政治家たちは、いつの時代にも主導権争いに明けくれて、そのことが政治だとさえ思ってしまう。(…)義時がここで西国のトップと取引きせず、御家人の利益をまず前提に考えたところに、私は東国そのものとぴったり密着した彼の姿勢を感じる。ふつう権力を握れば、たちまちそれを支える階層からは遊離してしまうものだが、義時が東国武士団の利害を直接吸いあげることができたところに、彼のすぐれた政治的資質がある。もちろんこれは個人の資質だけの問題ではない。旗揚げから三十年、内部に諸問題を抱えてはいるものの、東国はまだ若い。生命力も溢れているし、自壊作用も起してはいない。その若さが、組織のトップに健康な判断を下させた、ということであろう。(永井路子「承久の嵐 北条義時の場合」より) 海音寺潮五郎「梶原景時」 高橋直樹「悲命に斃る」 岡本綺堂「修禅寺物語」 近松秋江「北条泰時」 永井路子「執念の家譜」 永井路子「承久の嵐 北条義時の場合」 三田誠広「解説 北条義時とは何ものか」
聖徳太子千四百年遠忌記念出版。稀代の歴史小説作家の遺作となった全集未収録長篇小説『聖徳太子』に、“悪人列伝”シリーズの劈頭を飾る「蘇我入鹿」を併録。海音寺古代史のオリジナル編集版。
戦国史上最大の逆臣と言われる明智光秀。信長に仕えて以降は詳しく伝えられているが、その出自と最期は判然としない。そこに改めて光を当てたのが海音寺潮五郎。名著『武将列伝』から光秀に関わる武将の列伝を新たに編んだのが本書である。斎藤道三、織田信長、豊臣秀吉、前田利家など七人。歴史小説の真髄をいま読者に!
革命の名の下に、血の犠牲を要求するため、官軍を率いて江戸に入った西郷隆盛。動揺する徳川慶喜と幕閣の向背に抗し和平の道を模索する勝海舟。両巨頭が対峙した歴史的二日間は、その後の日本を決定づける。幕末動乱の頂点で実現した史上最高の名場面の、千両役者どうしの息詰まるやりとりを巨匠が浮かび上がらせる。奇跡の江戸無血開城とその舞台裏を描く、傑作長編。
黒船来航以降、時代への焦慮がみなぎる南国の雄藩薩摩。藩主島津斉彬を慕う樺山小一郎は、西郷吉之助(隆盛)や大久保市蔵(利通)らと奸臣誅殺を企てひとり江戸へ向かう。しかし、計画は失敗に終わり小一郎は消息を絶った。小一郎の琵琶歌に魅せられ恋心を抱く大阪芸者のお葭は、彼の汚名をそそぐため江戸へ。同じく小一郎の行方を追う西郷とともに捜索をするが…?維新前夜の激流を生き抜いた若者たちの青春群像劇!
鳥羽・伏見の戦さに勝利した西郷隆盛は、官軍参謀として江戸に入る。官軍による江戸城総攻撃が迫る中、幕府側の使者である勝安房との激しい交渉の末に無血開城を実現した西郷。しかし平和的革命を望む彼の思いとは裏腹に、彰義隊戦争や会津や奥羽諸藩の反抗など武力闘争は続いていた。そして、多くの犠牲の果てに迎えた新時代。徐々に腐敗していく政府を憂えた西郷は、再革命の決意を固める。史伝文学の金寺塔、堂々完結!
西郷らの努力が実り、薩長連合が成立。混迷を極める時局を収拾するには武力解決ーー討幕より方法はないという気運が高まっていた。新たな時代の幕開けのために、西郷が奔る!!
島津斉彬の死後、奄美に流された西郷隆盛は島の女性・愛加那との間に子どもも生まれ指導者として慕われていた。しかし長州の動きが活発になるのに伴い薩摩に呼び戻され、幕末の動乱の中へ身を投じていく。
安政元年、薩摩の下級藩士だった西郷隆盛は、第二十七代藩主・島津斉彬に江戸勤めを命じられる。お庭方として敬愛する斉彬の傍で仕えるうちに、天下のことに目覚めていき……いま語られる西郷隆盛の真実。
明治維新の英傑でありながら、新政府に叛旗を翻した男・西郷隆盛。歴史に大きな足跡を残しながらも、さまざまな謎に包まれたその実像を、盟友や家族といった周囲の人々の目を通して浮かび上がらせた傑作短編集。江戸無血開城に至るまでの勝海舟との交流(海音寺潮五郎「西郷隆盛と勝海舟」)、西南戦争にも従軍した息子・菊次郎から見た父の意外な姿と親子の絆(植松三十里「可愛岳越え」)など、五編を収録。
江戸時代の初期から、各藩で発生したさまざまな「お家騒動」。原因となったのは、金銭をめぐる対立や父子の不和、家臣による派閥争いなど、現代に通じるものばかりだった。島津、伊達、黒田、加賀、秋田、越前で起きた各騒動の真相を、説得力あふれる筆致で描き出す。人間の本質に迫る、海音寺史伝文学の真骨頂。
お家騒動の原因は、継嗣問題そのものよりも、党派の抗争、主人と家老の抗争、新進の権力者と門閥重臣の抗争などであったー。越後、仙石、生駒、桧山、宇都宮、阿波。各藩内の諍いを、史実と知見を結集して鮮やかに再現する。著者独自の解釈も随所に展開し、武士の気質を浮き彫りにした史伝文学の名作。
武勇にすぐれ、戦では天才的な巧妙さを発揮した立花宗茂。戦国乱世には、武勇を誇る英雄豪傑ならば幾人も出たが、そのなかにあって彼をひときわ際立たせたのは、その心術の高朗さにあった。極めて清潔にすぎる宗茂の人柄を見事に描きだした「立花宗茂」をはじめ、素材を九州にとった全十一篇を収録する至極の短篇集。
権勢並びない太閤秀吉に対しても「拙者は芸道に生きる者、いつの世までも名の残る者でござる」と高い誇りを持ち続けた男・千利休。天正期の大坂城を舞台に、秀吉と利休の確執を初めとして、淀殿と北政所、秀吉の側室たち、利休の娘のお吟、石田三成や小西行長ら武将たちの繰り広げる苛烈な人間模様を描く。
戦史の研究に没頭している孫武は、戦争に勝つには勝つだけの理由があり、負けるには負けざるを得ない理由があることを知った。呉楚の確執が続く古代春秋時代の中国。楚への復讐に憑かれた伍子胥の計らいで呉の将軍となった孫武は、独自の機略で楚軍を打ち破り続ける。孫子の兵法で名高い孫武を描く歴史小説。
「兵法家と兵学者は違う」孫武の時代から約150年後、後孫にあたる孫〓(ぴん)は〓(ほう)涓の影響で兵法のおもしろさに目覚めた。やがて魏につかえ大将軍となった〓(ほう)涓を訪ねた孫〓(ぴん)だが、その才能に嫉妬し恐れた〓(ほう)涓の残酷なたくらみに嵌ってしまう。かつての友への復讐と兵法家としての意地を賭けた最後の戦いが始まる。
文久二(1862)年四月二十三日、伏見の船宿・寺田屋の二階。長州と手を組んでクーデターを謀る薩摩誠忠組の動きは、長州嫌いの久光の怒りを買った。蹶起中止を説得する使者との間に朋友相討つ惨劇が起る。武士にとって藩命と理想、君命と朝命はいずれが重いか、この時点でこれは答えの出ない命題だった。
城にもそれぞれ個性がある。岐阜城はただ一人を除いてすべて非業の死をとげていることや、小田原城の歴史は一種の震災史であり、そして姫路城には女のからんだ秘話が多い。南は熊本城から、北は函館五稜郭まで十二の名城にまつわる史話を歴史文学の第一人者であった著者が縦横に語った興趣つきない好連作集。
戦乱の続く越後の国。守護代・長尾為景を父とする虎千代は、幼くして母を失し、父に故なくして疎んじられた挙句、養子に出されるも、忠臣金津新兵衛や百姓出の娘松江らに守られて武将の子として成長していく。天文五年(1536)に元服、喜平二景虎と名乗った。後の上杉謙信である。