著者 : 海音寺潮五郎
承久の乱に勝利し、治天の君と称された後鳥羽院らを流罪とした「逆臣」でありながら、たった一枚の肖像画さえ存在しない「顔のない権力者」。謎に包まれた鎌倉幕府二代執権の姿と彼の生きた動乱の時代を、超豪華作家陣が描き出す。
聖徳太子千四百年遠忌記念出版。稀代の歴史小説作家の遺作となった全集未収録長篇小説『聖徳太子』に、“悪人列伝”シリーズの劈頭を飾る「蘇我入鹿」を併録。海音寺古代史のオリジナル編集版。
戦国史上最大の逆臣と言われる明智光秀。信長に仕えて以降は詳しく伝えられているが、その出自と最期は判然としない。そこに改めて光を当てたのが海音寺潮五郎。名著『武将列伝』から光秀に関わる武将の列伝を新たに編んだのが本書である。斎藤道三、織田信長、豊臣秀吉、前田利家など七人。歴史小説の真髄をいま読者に!
革命の名の下に、血の犠牲を要求するため、官軍を率いて江戸に入った西郷隆盛。動揺する徳川慶喜と幕閣の向背に抗し和平の道を模索する勝海舟。両巨頭が対峙した歴史的二日間は、その後の日本を決定づける。幕末動乱の頂点で実現した史上最高の名場面の、千両役者どうしの息詰まるやりとりを巨匠が浮かび上がらせる。奇跡の江戸無血開城とその舞台裏を描く、傑作長編。
黒船来航以降、時代への焦慮がみなぎる南国の雄藩薩摩。藩主島津斉彬を慕う樺山小一郎は、西郷吉之助(隆盛)や大久保市蔵(利通)らと奸臣誅殺を企てひとり江戸へ向かう。しかし、計画は失敗に終わり小一郎は消息を絶った。小一郎の琵琶歌に魅せられ恋心を抱く大阪芸者のお葭は、彼の汚名をそそぐため江戸へ。同じく小一郎の行方を追う西郷とともに捜索をするが…?維新前夜の激流を生き抜いた若者たちの青春群像劇!
鳥羽・伏見の戦さに勝利した西郷隆盛は、官軍参謀として江戸に入る。官軍による江戸城総攻撃が迫る中、幕府側の使者である勝安房との激しい交渉の末に無血開城を実現した西郷。しかし平和的革命を望む彼の思いとは裏腹に、彰義隊戦争や会津や奥羽諸藩の反抗など武力闘争は続いていた。そして、多くの犠牲の果てに迎えた新時代。徐々に腐敗していく政府を憂えた西郷は、再革命の決意を固める。史伝文学の金寺塔、堂々完結!
幕府に安政条約締結と長州再征への勅許が下ったことで、将軍辞職による幕府瓦解の工作が失敗におわった薩摩藩。西郷隆盛は同盟の機は熟したと判断し、黒田清隆を長州へ送り込む。坂本龍馬の活躍もあり、一時は不可能と思われた薩長同盟が成立。雄藩による革命の機運は高まり、武力による討幕は避けられない状況となっていた。一方、家茂の死後に将軍職を継いだ慶喜は、徳川氏としての勢力を維持するために大政奉還を決意する。4か月連続刊行、第3弾!
島津斉彬の死後、藩命により潜居していた大島(奄美)で、砂糖専売などの薩摩藩による苛政を目の当たりにした西郷隆盛。改革に取り組む西郷は、島人から指導者として慕われるようになり、やがて愛加那という妻をめとる。そのころ薩摩藩は八月十八日の政変により京都政界での発言力を高める一方で、有能な人材が払底していた。窮地を打開するため同志らの働きかけで西郷は召還され、幕末の動乱に身を投じていくがー。
薩摩の下級藩士の家に生まれた西郷隆盛は、安政元年、第十一代藩主・島津斉彬の参覲に伴い江戸勤めを命じられる。敬愛する斉彬の傍でお庭方として仕えながら水戸藩の藤田東湖から学ぶうちに、天下のことに目覚めていく西郷。折しも外国船来航により開国派と攘夷派の対立が深まる中、一橋慶喜擁立のために暗躍するものの、志半ばで斉彬が亡くなってしまい…。海音寺潮五郎が不退転の覚悟で臨んだ、史伝文学の最高傑作。
明治維新の英傑でありながら、新政府に叛旗を翻した男・西郷隆盛。歴史に大きな足跡を残しながらも、さまざまな謎に包まれたその実像を、盟友や家族といった周囲の人々の目を通して浮かび上がらせた傑作短編集。江戸無血開城に至るまでの勝海舟との交流(海音寺潮五郎「西郷隆盛と勝海舟」)、西南戦争にも従軍した息子・菊次郎から見た父の意外な姿と親子の絆(植松三十里「可愛岳越え」)など、五編を収録。
江戸時代の初期から、各藩で発生したさまざまな「お家騒動」。原因となったのは、金銭をめぐる対立や父子の不和、家臣による派閥争いなど、現代に通じるものばかりだった。島津、伊達、黒田、加賀、秋田、越前で起きた各騒動の真相を、説得力あふれる筆致で描き出す。人間の本質に迫る、海音寺史伝文学の真骨頂。
お家騒動の原因は、継嗣問題そのものよりも、党派の抗争、主人と家老の抗争、新進の権力者と門閥重臣の抗争などであったー。越後、仙石、生駒、桧山、宇都宮、阿波。各藩内の諍いを、史実と知見を結集して鮮やかに再現する。著者独自の解釈も随所に展開し、武士の気質を浮き彫りにした史伝文学の名作。
武勇にすぐれ、戦では天才的な巧妙さを発揮した立花宗茂。戦国乱世には、武勇を誇る英雄豪傑ならば幾人も出たが、そのなかにあって彼をひときわ際立たせたのは、その心術の高朗さにあった。極めて清潔にすぎる宗茂の人柄を見事に描きだした「立花宗茂」をはじめ、素材を九州にとった全十一篇を収録する至極の短篇集。
権勢並びない太閤秀吉に対しても「拙者は芸道に生きる者、いつの世までも名の残る者でござる」と高い誇りを持ち続けた男・千利休。天正期の大坂城を舞台に、秀吉と利休の確執を初めとして、淀殿と北政所、秀吉の側室たち、利休の娘のお吟、石田三成や小西行長ら武将たちの繰り広げる苛烈な人間模様を描く。
戦史の研究に没頭している孫武は、戦争に勝つには勝つだけの理由があり、負けるには負けざるを得ない理由があることを知った。呉楚の確執が続く古代春秋時代の中国。楚への復讐に憑かれた伍子胥の計らいで呉の将軍となった孫武は、独自の機略で楚軍を打ち破り続ける。孫子の兵法で名高い孫武を描く歴史小説。
「兵法家と兵学者は違う」孫武の時代から約150年後、後孫にあたる孫〓(ぴん)は〓(ほう)涓の影響で兵法のおもしろさに目覚めた。やがて魏につかえ大将軍となった〓(ほう)涓を訪ねた孫〓(ぴん)だが、その才能に嫉妬し恐れた〓(ほう)涓の残酷なたくらみに嵌ってしまう。かつての友への復讐と兵法家としての意地を賭けた最後の戦いが始まる。
文久二(1862)年四月二十三日、伏見の船宿・寺田屋の二階。長州と手を組んでクーデターを謀る薩摩誠忠組の動きは、長州嫌いの久光の怒りを買った。蹶起中止を説得する使者との間に朋友相討つ惨劇が起る。武士にとって藩命と理想、君命と朝命はいずれが重いか、この時点でこれは答えの出ない命題だった。
城にもそれぞれ個性がある。岐阜城はただ一人を除いてすべて非業の死をとげていることや、小田原城の歴史は一種の震災史であり、そして姫路城には女のからんだ秘話が多い。南は熊本城から、北は函館五稜郭まで十二の名城にまつわる史話を歴史文学の第一人者であった著者が縦横に語った興趣つきない好連作集。
戦乱の続く越後の国。守護代・長尾為景を父とする虎千代は、幼くして母を失し、父に故なくして疎んじられた挙句、養子に出されるも、忠臣金津新兵衛や百姓出の娘松江らに守られて武将の子として成長していく。天文五年(1536)に元服、喜平二景虎と名乗った。後の上杉謙信である。