出版社 : 書肆侃侃房
ペンシルベニア大学で、RNAやDNAを用いた最先端の遺伝子治療の開発を夢見て研究生活を共にした若き研究者たち。そのひとり、無名時代のカリコ博士の実像と魅力を知る著者が、彼女の苦悩と挫折、復活と栄光を描いた実話に基づく異色話題作。
現代アメリカ文学を代表する作家のひとり、アレクサンダル・ヘモンの最初期短編集 故郷喪失者は言語の中でのみ生きることができる たとえどこにいようが故郷には決していないのだから A・ヘモンによる『島』は、彼が英話で書いたもっとも初期の作品のひとつである。ヘモ ン氏はボスニア人であり、一九九二年にアメリカを旅行中、ボスニアでの戦争により帰国不可能となってアメリカに移住した。『島』 を書いたのは一九九五年の春、もはや母語で小説を書くこともできず英語でもまだ書けなかった三年間を耐えた末のことだった。スチュアート・ダイベック(『プラウシェラーズ』 1998年春号) 島 アルフォンス・カウダースの生涯と作品 ゾルゲ諜報団 アコーディオン 心地よい言葉のやりとり コイン ブラインド・ヨゼフ・プロネク&死せる魂たち 人生の模倣 訳者あとがき
過去をすべて消しても生きていけるだろうか? 私だけが知らなかった、私のもう一つの物語 幼い頃の記憶。火事に見舞われた小さな町で、亡くなった悲しみに犬を飼う人々。死んだ兄。森の中に隠れて暮らす女性。いなくなった父。母の秘密。夫のスクラップブックと、消えた女優。現在と過去が交錯し、思わぬ真実が立ち上がってくる。 ーーーーーーーー ソン・ボミの作品には「消える」人たち、特に女性たちが多く登場する。 私たちはみな日常の中で、自分の意志とは関係のない、外的な要因によって生活が180度豹変することが多々ある。そうやって日常が崩壊してしまったあとも、依然として人生は続いていく。私たちはどのように生きていけばよいのか。これは訳者としての私の関心事でもあるのだが、『小さな町』はそういう疑問から始まった作品としても読めるのではないだろうか。(略) 「私」はすべての真実が明らかになったとき、過去と向き合うことにした。それはもうこれ以上、「消える」ことを望まないという意味でもある。多くの女性たちが自ら選択したものの前であっけなく崩れていく中で。すべては運命だと受け止めた母は、後悔のない人生を送ったのだろうか。母が、そして消えた女性たちが、本当に守りたかったものは何だろう。「私」はこれからどのような選択をして生きていくのだろうか。 (訳者あとがきより) <あらすじ> 病床の母から繰り返し聞かされた、幼少期をすごしたあの小さな町の記憶。そこでは火事で多くの人が亡くなり、私の兄もそのとき死んだのだという。ある日、家出してたどり着いた森の中の家には、女性が隠れ住んでいた。それを機に母と親しくしはじめた彼女が起こした騒動をきっかけに、私の家族は壊れてしまう。 最期まで語られなかった母の秘密。記憶をたどる中、父との再会で告げられた思いもよらない真実とは……。 一 反作用 二 至上命令 三 無神論者 四 交換 五 また別の女 六 ステキなしきもの 七 僕たちは失敗したんだ 八 死人に口なし 訳者あとがき
この痛みを何と呼んだらいいのか? 「流産」というテーマを克明かつ赤裸々に描いた傑作小説。 不安定な地位にある大学非常勤講師のドロシーは、図書館のトイレで予期せぬ出血を経験する。流産したことを親友にも母親にも打ち明けることはできない。大学で講義し、セラピーに通い、産婦人科を訪れるが、どこにいても何をしていても世界から認めてもらえない気がしてしまう。3月の終わりからの1ヶ月半、予測不能なキャリアのなかで、自分の身体に起きた「流産」という不可解な出来事と知性によってなんとか折り合いをつけていく。 「Time」年間トップテン・フィクション(2021年)選出! 三月の終わり その翌日 五日後 数週間後 翌週の土曜の夜 十日後 * 日本の読者への手紙 訳者解説
知り合いから頼まれて顔も知らない人と待ち合わせをする羽目になった俺(水上)。この人と思ったキザキさんは別の男と去ってゆき、代わりに現れたサカナさんに誘われるままに不思議な居酒屋で飲み明かし、まさに迷宮にはまり込んでゆく、心理的ロードムービーのような作品。ほかに書き下ろし「Maxとき」も収録。第四回ことばと新人賞受賞作。
装幀 成原亜美(成原デザイン事務所) 装画 クォン・ソヨン「ghost」 どこにいても、必ず自分を守って。 それが私たちを守ることになるから。 クィア・労働・女性問題など、今を生きる女性たちをときにリアルに、ときにさわやかな余韻で描き出すチョ・ウリ初の短編集。 表題作「私の彼女と女友達」など八編を収録。初邦訳。 なんでもない場所で静かに働きながら、何かが変わる予感をキャッチするクィアたち。どこかバランスが崩れた場所で、不穏な気配を感じ取りながら生きる女性たち。 チョ・ウリは、不安定な世界に身を委ねざるを得ない人びとの動揺を丁寧に描き出す。本当は誰もが揺れている、その不可視化された振動が、いま、見える。 --高島鈴(ライター、アナーカ・フェミニスト/『布団の中から蜂起せよ』著者) チョ・ウリの小説を読むとき、呼吸が軽くなる。心温まる話のときも非情な話のときも、風通しがちょうどいいから絶望に息切れすることがない。枕元に置いておきたい多孔質の物語。じっと耳を当てていると、以前は聞こえなかった声が聞こえてきて、見過ごしていた瞬間を振り返っている自分がいる。すらすら読めるのに、手を止めて考えさせる。なんて貴重な小説だろう。八篇の作品はどれも、人生の鮮やかなシーンを捉えることにとどまらず、追いついてこない世界に負けてなるものかという意志にあふれている。その力強さにこそ未来がある。 --チョン・セラン(小説家/『フィフティ・ピープル』著者) <あらすじ> 「私の彼女と女友達」 五年間同棲している私の彼女、ジョンユンには四人の大親友がいる。ミンジ、ジヘ、ジヨン、スジン。「ジョンユンの彼女なら、私たちの友達も同然でしょ」彼女たちはみんな私に会いたがるけど、私はその誰にも会ったことがない。ジョンユンに誘われても、誰の結婚式にも行かない。 ついにジョンユンの親友たちに会ってみることを決めた日、かつて私が憧れを抱くも苦い決別を迎えたひとりの女性から手紙が届く。 「非婚式にご招待します」 【もくじ】 私たちがハンドルをつかむとき 11番出口 ミッション 私の彼女と女友達 ねじ 物々交換 ブラック・ゼロ 犬五匹の夜 著者あとがき 訳者あとがき <著者あとがきより> 私を苦しめ、私が苦しめた、それでもやっぱり私を笑顔にし、喜ばせてくれた、小説のなかのすべての女性…
激動の時代の祈りと赦しと。江戸末期から明治時代へ。キリシタン信徒の境涯は時代の流れに翻弄される。物語は、明治初期の長崎から始まり、由布の里、豊後竹田へ。日本の四季折々の風情を織り交ぜながら動いていく壮大な物語。「オカネサン」(mousum´e)という一人の日本女性の波乱万丈の生涯を描くことで、フランス人からみた「japonisme」すなわち近代化に向かう日本の時代の変化を浮き彫りにする。
散歩を愛し、猫と一緒に暮らす詩人ハン・ジョンウォンが綴るエッセイ 雪の降る日や澄んだ明け方に、ひとり静かに読みたい珠玉の25編 オクタビオ・パス、フェルナンド・ペソア、ローベルト・ヴァルザー、シモーヌ・ヴェイユ、パウル・ツェラン、エミリー・ディキンソン、ライナー・マリア・リルケ、シルヴィア・プラス、金子みすゞ、ボルヘス…… 『詩と散策』は、著者のハン・ジョンウォンがひとり詩を読み、ひとり散歩にでかけ、日々の生活の中で感じたことを記している、澄みきった水晶のようなエッセイ集だ。読者は、彼女の愛した詩人たちとともに、彼女が時折口ずさむ詩とともに、ゆっくりと散歩に出かける。 【本文中に出てくる詩人や作家たち】 オクタビオ・パス/フェルナンド・ペソア/ウォレス・スティーヴンズ/アーチボルト・マクリーシュ/ローベルト・ヴァルザー/シモーヌ・ヴェイユ/パウル・ツェラン/セサル・バジェホ/ガブリエラ・ミストラル/ヘンリー・デイヴィッド・ソロー/カミュ/源信明/ウラフ・H・ハウゲ/エミリー・ディキンソン/アンナ・アフマートヴァ/ライナー・マリア・リルケ/フォルーグ・ファッロフザード/シルヴィア・プラス/チェ・ヨンミ/金子みすゞ/ジョージ・ゴードン・バイロン/ボルヘス 宇宙よりもっと大きな 寒い季節の始まりを信じてみよう 散歩が詩になるとき 幸福を信じますか? 11月のフーガ 悲しみ、咳をする存在 果物がまるいのは 夏に似た愛 心のかぎりを尽くして来たから 永遠のなかの一日 海から海のあいだに なにも知りません よく歩き、よく転びます 国境を越えること みんなきれいなのに、わたしだけカンガルー ひと晩のうちにも冬はやってくる 夢とおなじ材料でできている 夕暮れただけ 窓が一つあれば十分 灰色の力 真実はゆっくりとまぶしくなければ 猫は花の中に いくつかの丘と、一点の雲 今日はわたしに、明日はあなたに 彼女の歩く姿は美しい(送らない手紙) 日本の読者のみなさんへ 訳者あとがき
美とおののきの短編アンソロジー。怖れと闇と懐かしさ。ムラタワールドの「短編愛」。短編はコロコロと手の上で転がしながら考える。うまく芽がでてすくすく伸びるとやがてひとつの「話」がひらく。
何を書くか、どうコラージュするのか、その細かな取捨選択に宿る煌めき。 読みながら、自分が出会ってきたあらゆる愛しい人を思い浮かべたけれど、読み終える頃にはこの小説が、愛しいあなたになっていた。 ーー金原ひとみ(小説家) エッセイ・リウは生来のストーリーテラーだ。独特の作風には絶えず比喩が混ざり込むーーきっぱりと鋭く、びっくりするほど。彼女の短編小説を読んでいると、ラインすれすれに打ち込む一流のテニス選手のように思えてくる。一回打っては打ち返し、正確にしかもリズミカルなラリーが続く。目の前ではずっと続くように思えていても、突然のスピンボールに相手が戸惑っている時、ポイントを奪ってしまう。読者は短編小説を読んでいくうちに物語に引き込まれ、劉梓潔の世界に完全に入り込んでしまう。 ーー侯文詠(作家・医師) 劉梓潔は二十一世紀台湾人女性の声を代弁する。物語を紡ぐ時、不要な説明は避け、場と場を繫ぐ説明も省かれる。彼女が描き出す言葉には強い自信が表れ、受け身で、解釈されることを待ち、意味づけされるのを受け入れるだけの女性は出てこない。物語をシーンごとに繫げていくと、それはまたカットごとに自ずと繫がっていくのである。女性の物語や男女の物語はここから語り出されるのだ。 ーー陳芳明(台湾文学研究者) 『父の初七日』監督・脚本のエッセイ・リウ。 映画の原作エッセイがベストセラーとなった作家の最初の短編小説集。 子供が欲しい。でもそれってホルモンのせい?でも、過ぎてしまえばそれでいいなんて私は思わない…「愛しいあなた」。母親には永遠にわからないだろう。それは四倍の愛なのだ。母と父の役目で二乗。会えなかった最初の息子の分でさらに二乗だって…「プレゼント」。私は年上の人しか好きになれないんです。父の秘密と私の恋…「失明」。台湾の現代女性の愛と痛みを衝動的に描いた短編小説集10編。
『Lilith』『無垢なる花たちのためのユートピア』など、そのみずみずしい才能でいま最も注目される歌人・作家、川野芽生。 『無垢なる花たちのためのユートピア』以前の初期作品を中心に、書き下ろしの「天屍節」、「ねむらない樹」川野芽生特集で話題となった「蟲科病院」など全51編を収録した待望の最新作品集。 円城塔さん推薦! 「誰もが探していたのに見つからなかったお話たちが、こうして本に育っていたのをみつけたのは、あなた」
恋の記憶、家族の記憶、残酷で美しい春の記憶。 ソ・ユミは、私たち自身の傷と記憶を呼び覚まし、 時の流れとは何かを伝えようとする。 私たちはいつだって、人生の新しい章を始められるのだ。 ーー櫻木みわ(小説家) 1970年代生まれの韓国女性作家、チョ・ナムジュ、ファン・ジョンウンなどと並び、 韓国文学界を背負う一人であるソ・ユミ、待望の初邦訳 2022年10月上旬全国書店にて発売予定。 <あらすじ> 末期がんで苦しむ母の看病、妻との離婚を目前にし、幼いころの父の死が亡霊のように付きまとうヨンム。夫とはすれ違い、愛を渇望するも満たされず、若い男とのひとときの恋に走るヨンムの妻・ヨジン。貧困の連鎖から逃れられず、社会に出てもバイトを転々とし、恋人との環境の違いに悩むヨンムの部下ソジョンの物語とが交錯する。 「甘ったるい春夜の空気を物悲しく」感じる人々のストーリーは不幸という共通分母の中で一つになり、三人の人物が感じる「静かにうごめく喪失感」が小説の根底に流れている。それぞれがその喪失感を乗り越え、成長していく四月の物語を、やさしい視点で描き出す。 <訳者あとがきより> 「連合ニュース」はこの小説を「成長の物語」と評し、毎日経済は「別れの傷を癒やす間、桜は散り、五月の新芽が出る。作家は『終わりはついにやってきた新しい始まり』だと淡々と証言するのだ」と解釈した。本書は別れと喪失の物語であると同時に希望の物語でもある。原書の解説で小説家イ・スンウはこう述べている。「『切られた傷の上に貼るバンドエイド』のような小説だ。(中略)本書は貧しく疎外された人々の悲惨な現実を暴露し、貧しさが世襲される資本主義社会の構造的矛盾を批判するために声を上げる代わりに、彼らが作り出すぎこちない笑顔に注目する」。誰もが経験する恋人との別れ、家族の闘病や死、そしてそれを乗り越えようと必死でほほ笑む人々の健気さに引き込まれてしまう。
1930年代、ナチスに迎合する富豪の両親に反発し、同性の恋人と共に中近東を旅したスイス人作家がいた。同じように世界に居場所を失い、中近東に流れ着いた人々がいた。旅先で出会った人々を繊細な筆致で描いた、さすらう魂の吹き溜まりのような短編集。
南北分断と朝鮮戦争をめぐる若者群像 いつの時代も戦争で被害に遭わない若者はいない。戦地に送られ生死の境をさまよったあげく、除隊後も不安定な精神状態から逃れられないのだ。残され、ただ待ち続けた女性たちも例外ではない。 廉想渉につづき、韓国の現代文学への橋渡しをした大物作家の一人、黄順元は、廉想渉よりも十八歳年下で、南朝鮮に越南してきた。創作の質と量から見ても廉想渉に匹敵する大作家と言って差し支えない。性描写がかなり露骨であるのも当時の韓国小説としては異色である。本作を読み終えたとき、きれいごとではないどぎつい臨場感に圧倒された。戦場での苦しみは、消えることがない。日本文学ともまた違う、この時代の朝鮮文学によって、外国文学を読む意義と醍醐味を再認識したのもこの作品だった。(訳者) 【あらすじ】 戦争前はエリート候補のはずだった大学生3人は学徒兵に。一番不器用なドンホは最前線の歩哨に立って自殺。除隊後、飲み歩くヒョンテは娼婦の自殺幇助で収監される。ただ一人、ユングだけは養鶏業を始めて何とか生き抜いていこうとするが……。 第一部 第二部 「木々、坂に立つ」解説
三従の道からの解放を自ら実践しようとして日本留学も果たした女性瓊姫は、新しい女性としての生き方を模索する「瓊姫」。白痴のように見えて実は、ある特殊な能力を持つ少年は自由を求めて危険な道に踏み出す「白痴?天才?」。金を少しでも減らしたくない男。日々寄付を求めてやってくる人々を追い返すために猟犬を飼い始める「猟犬」。死んでから天国に行くより、今のこの世でほんの少しでもいいから、よい暮らしをと願う男「人力車夫」。究極の貧しさゆえ空腹を満たすために腐ったサバを食べ食中毒をおこした息子を救おうと奔走する母親「朴〓(パクトル)の死」。厳格な舎監が夜な夜な繰り返す秘密の時間。その秘密を垣間見てしまった女学生たち「B舎監とラブレター」。朝鮮人の父と日本人の母を持つ混血の息子の葛藤と生きづらさを時代背景と共に綴る「南忠緒」。韓国最初の創作SF小説。人間の排泄物から人工肉を作る実験に明け暮れる笑えない現実「K博士の研究」。主人に絶対服従を誓って生きてきたもの言えぬ男。屋敷が火事になり、若主人の新婦を救おうと火の中に飛び込んでいく「〓の三龍」。
過去と現在が交差し、一瞬煌めいて消えるーー 韓国で五つの賞に輝いた珠玉の短編集 いまやペク・スリンの小説は、母語と母国、母性の世界の不均質にまで手を伸ばす。普段は見られない母親の美しさに怯えて泣き出す子どものように、私もまたその過程にすっかり魅了された者のひとりだ。 ーーキム・グミ(小説家)『あまりにも真昼の恋愛』著者 「黒糖キャンディー」(『私のおばあちゃんへ』)『惨憺たる光』に続くペク・スリン、待望の最新作 美しく繊細な文章で、宇宙ほどにも捉えがたい人の心を追いつづけるペク・スリン。決して完璧に理解しきることなどできようもないのだが、そこによぎる一筋の彗星のような軌跡を目の当たりにさせてくれる。前作『惨憺たる光』では、光に至るまでの深くもあてどない闇を置き去りにしない慈愛のような作品たちを届けてくれた。今作『夏のヴィラ』では、人と人、世界と世界の境界線を静かに見つめることで、私たちがこの入り組んだ世界でいかに関係しながら共存しているのかを考えさせてくれる。 『夏のヴィラ』は二〇二〇年に刊行された、ペク・スリンの三冊目の短編集である。著者は二〇一一年に短編「噓の練習」でデビューして以来、多数の文学賞を受賞してきた。なかでも本書は、合わせて五つの賞を受けている。「時間の軌跡」と「ひそやかな事件」で若い文学賞、「夏のヴィラ」で文知文学賞、「まだ家には帰らない」で現代文学賞、さらに本書自体は審査員満場一致で韓国日報文学賞に輝くという快挙を成し遂げている。(訳者あとがきより) <あらすじ> 初めてのヨーロッパ旅行で出会い親交を温めてきたドイツ人夫婦に誘われ、苦しい講師生活のなか気持ちがすれ違っていた夫と共に訪れたカンボジアのヴィラ。数日過ごすうち、夫とドイツ人夫婦の間に小さな諍いが起こり……「夏のヴィラ」。夫の希望で仕事を辞め、変わらない毎日を過ごすなかでの楽しみは、子供を送迎するときに見かける赤い屋根の家に住む空想をすることだった。そんななか、親友が開業したイタリアンレストランで出会った若い男性とのささやかな会話が引き起こした心のさざ波に……「まだ家には帰らない」。人と人、世界と世界の境界線を静かに描いた八つの短編を収録。 時間の軌跡 夏のヴィラ ひそやかな事件 大雪 まだ家には帰らない ブラウンシュガー・キャンディ ほんのわずかな合間に アカシアの林、初めてのキス 著者あとがき 訳者あとがき