音楽むすび | 制作・出演 : モトリー・クルー

制作・出演 : モトリー・クルー

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ワイルドで破天荒なロックンロール・ライフを突き進んだ伝説のバッド・ボーイズ・ロック・バンド、モトリー・クルー! 狂気の頂点にして、その後のロック・シーンを一気に変えてっしまった傑作『ガールズ、ガールズ、ガールズ』にボーナストラックを収録したの30周年記念盤! 1981年にロサンゼルスで結成されたモトリー・クルーは、自主制作盤のリリースを経て翌年メジャ・-デビューを飾った。 83年にセカンド・アルバム『シャウト・アット・ザ・デビル』で全米にLAメタル旋風を巻き起こし、85年のサード・アルバム『シアター・オブ・ペイン』では、 派手なグラム・スタイルのファッションを流行させた。さらにこのアルバムからのシングル曲「ホーム・スイート・ホーム」をヒットさせ、 メタル・バンドがアルバムにバラードを収録するという方程式を定着させた。彼らは天性のスターであり、常にセンセーショナルな存在であり続けた。 似通ったバンドが巷に溢れかえると、彼らはガラッとイメージを変えてみせた。1987年5月にリリースされた4作目『ガールズ、ガールズ、ガールズ』は、 全米アルバム・チャート初登場5位、最高2位まで上り詰めた大ヒット作である。黒のレザーに身を包み、ハーレー・ダビッドソンに跨り、 タフでマッチョなイメージに変身。6月からスタートした全米ツアーではホワイトスネイクをサポートに従え、ステージにハーレーで登場し、 女性コーラス・デュオ“ザ・ナスティ・ハビッツ"を帯同させ、NASAの開発によって誕生した360度回転するドラム台などド派手な仕掛けで観衆を熱狂させた。 ところが『ガールズ、ガールズ、ガールズ』リリース前後、モトリー・クルー、特にニッキーは“頽廃"としか言い様のない生活を送っていた。 1986年の1月から3月まで『シアター・オブ・ペイン』の欧州ツアーを終えたバンドはオフに入り、トミー・リー(ds)はTVスターのヘザー・ロックリアと結婚、 ヴィンス・ニール(vo)は84年末に起こした交通事故の判決により30日間刑務所に収容されるなど、音楽以外の話題を多く振りまいていた。 そんな中でニッキー・シックス(b)はヘロイン漬けの日々を過ごしている。彼のドラッグ歴は長かったが、常用者となったのはこの頃からだった。 1987年12月に行われた来日公演時の精神状態はとりわけ酷く、“自分が今、最高なのか最悪なのか判断がつかない"ほどであったという。 そして米国に戻った直後、彼はハリウッドのホテルでヘロインの過剰摂取により昏睡状態に陥り、一時心肺停止となってしまう。 その後ニッキー及びバンドのメンバーはクリーンになることを宣言し、5作目の『ドクター・フィールグッド』(1989年)で遂に全米ナンバーワンとなる。 『ガールズ、ガールズ、ガールズ』は、そんな頽廃したロックンロール・ライフの真っ只中から生まれた狂気の作品である。音楽的にはたいへん充実しており、 プロデューサーは『シャウト・アット・ザ・デビル』から3作連続となるトム・ワーマン。ヘヴィ・メタリックなサウンドにさらに磨きをかけ、 都会的なサウンドを演出している。本作からは3枚のシングルがカットされ、「ガールズ、ガールズ、ガールズ」、「オール・アイ・ニード」のミュージック・ビデオは、 放送禁止となったにも関わらずチャートを駆け上った。このことからも当時の彼らの勢いが伺えるだろう。米ポルノ界の大スター、トレイシー・ローズのことを歌った 「オール・イン・ザ・ネーム・オブ…」や、ドラッグ漬けの日々を歌った「ダンシング・オン・グラス」など、歌詞の内容はどれも刺激的なものばかり。 当時のロサンゼルスの街の空気をそのままパッケージしたかのようなサウンドと歌詞で、バンドは頂点を極めたのだった。 「今年で『ガールズ、ガールズ、ガールズ』が30歳になったとは信じ難い」と、ニッキー語っている。また、「30年経って、この作品を掘り起こす新しい世代の ファンを見ることができるなんて、本当にクールだ」とも言っている。モトリー・クルーの作り出した音楽、彼らの生活の中から生まれたロックは普遍的であり、 いつの時代でもどの世代にも刺激的に響くはずだ。【日本語解説書封入/歌詞対訳付】 【メンバー】 ヴィンス・ニール(ヴォーカル) ミック・マーズ(ギター) ニッキー・シックス(ベース) トミー・リー(ドラムス)

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