1995年10月21日発売
オーマンディはこれらの曲を得意としていて、数年後RCAに再録音している。音はその方が良く(5)など多少聴き劣りする。しかし演奏のコンセプトはほぼ同じ。(1)などこの方が溌剌としていて良いくらいだ。コストパフォーマンスの高い名盤としてお薦めしたい。
バーンスタインがフランス国立oを指揮した近代フランス作品。(2)の色彩感と躍動感は期待したほど派手ではないが管楽器の音色が際立ち、十分魅力的。同じフランスものながら後半のオーマンディが持つオーソドックスなカラーとの対照性が面白い。
カラヤンしかり、オーマンディしかり。やはり並の指揮者ではこうした曲を楽しませられない。少しもイヤ味にならずにツボを心得た表現は、強烈な個性には欠けるものの、オケがとびきり上等なこともあって、ゴージャスな喜びを与えてくれる。名匠の技だ。
まるで学校の音楽の授業の教材用という選曲。要するにオーケストラ入門なのだ。手元にスコアを置いて聴くにはもってこいだろう。演奏者も断る必要がないほど一流の人たち。50年代の録音はヒスが少し気になるが。
これが1000円なんて、いい時代になったものです。ずばりお買い得です。20番の冒頭からひきしまった音楽作り。しかも最近の演奏家によく見られる、いかにも細部まで完璧にコントロールしてますと言わんばかりの作為的ないやらしさがない。65年の録音。
右手の故障から一時ピアニストとしての活動を中断していたフライシャーだが、現在は左手のためのピアノ作品を協奏曲、室内楽、独奏曲全てにわたって網羅録音中。これは61年に収録されたもの。作品と演奏が不屈の精神を共有して、力強く生き続けている。
感傷的な表現を払拭し、キリッと引き締まった棒さばきから生まれるメロディがフレッシュ。60年代の初め、バーンスタインが古典派やロマン派の音楽に、次々を新風を吹き込んでいた頃の「未完成」。晩年の演奏にはない透明感やみずみずしさが魅力だ。
「鋼鉄のタッチ」と呼ばれたギレリス(決してプロレスラーではない)のチャイコフスキー((1))が出色。まさにハガネのような音質の力強さと美しさは比類がなく、表現もフレキシブルで滋味深い。メータとの凄絶な熱演として名高い名演である(ライヴ録音)。
甘めの艶やかな美音と豊かなスケール感を武器とするズーカーマンにとって、この2つの超有名な協奏曲はぴったりと資質に適った作品だ。ダイナミックな箇所に耳を奪われがちだが、音色やフレーズなどの細部での神経の使い方が凡庸な奏者とまるで違う。
(1)の協奏曲の独奏は、やや線は細いものの、真摯にオーソドックスに弾いている。これに、さらにこまやかなニュアンスが加わればもっと良かったが。伴奏は平均点。余白はチェロとハープによる小品。ハープの音がちと固いが、雰囲気はまずまず。
録音は古いが定評のあるアルバムである。これだけの豪華メンバーが揃うことも珍しいが、4人の奏者がいずれも個性を見事に調和させているすばらしい演奏である。ランパルの歯切れの良いフレージングも爽やかである。
最近の演奏家が、フレーズのものすごく細かいワザにこだわったり、一分の隙もないアンサンブルを見せたりして、それがうっとうしくて、もう少し普通に音楽できんか? などと思う人にはこのホルショフスキー先生とブタペストSQのシューベルトを。
オルガン音楽と一口に言ってもその演奏はさまざま。純粋な器楽曲として響くもの、宗教的体臭が濃厚なもの。ビッグスのコンセプトはもちろん前者。聴く者を「神」の前に引っ張り出したりせず、ひたすら音楽美のみを提示する。音色の多彩な変化も効果的だ。
モーツァルトで高い評価を受けていたリリー・クラウスの名盤。繊細かつ積極的な表現は60歳代の演奏でも健在だ。的確なアーティキュレーションとダイナミクス、生き物のようなフレージングから成る音楽は、清潔で、かつ聴きごたえがある。
ゼルキンの(2)は3度目、他は2度目の録音。いわゆる3大ソナタに「テレーゼ」を加えたもの。ゼルキンの演奏は、ベートーヴェンに真摯に取り組んだもので、そこから描き出されるベートーヴェン像は、実に直截的な姿で逞しいものとなっている。
(1)〜(10)は、ショパン弾きとして名をなした往年の名ピアニスト、ロシアのブライロフスキーの演奏。ポロネーズもワルツも情熱的で男性的でたくましい。(11)〜(14)は、フランスの名ピアニスト、アントルモンの演奏。華麗さのなかに温厚な味わいをたたえている。