2003年2月発売
丘の上に二人きりで暮らす老夫婦と、子供たちやたくさんの孫、友人、近所の人たちの心温まる交流。妻の弾くピアノの練習曲、夫の吹くハーモニカの音色。孫たちが飼っている小動物、庭に来る小鳥、そして丹精されたつるばら。どこにもある家庭を描きながら、日々の生活から深い喜びを汲み取る際立った筆致。一貫して「家族」をテーマに書き続けて来た、庄野文学五十年の結実。
夏樹果波は、幸福の絶頂にいた。仕事で成功した夫、高層マンションでの新しい生活。ところがそんな矢先、子供を身ごもった。予期せぬ妊娠だった。中絶という苦渋の選択をした瞬間から、果波の精神に異変が起こり始める。精神の病か、それとも死霊の憑依なのか。科学と心霊の狭間で、夫と精神科医が治療に乗り出すが、二人の前には想像を絶する事態が待ち受けていたー。男女の問題。性の迷宮。生命の神秘。乗り移られる恐怖。心の中の別の人。『13階段』の著者が描く、戦慄に満ちた愛の物語。
徳川旗下の武将・水野忠重の嫡男勝成は、十六歳の時遠州高天神城での初陣で手柄を立てた豪勇の士であったが、ささいなことで人を斬り出奔。豊臣秀吉、佐々成政、黒田長政に仕えた後、関ヶ原の合戦前に徳川家に帰参する。その男の意地を貫き通した爽快な一生を描いた表題作の他、珠玉の短篇9本を収録。
「半どのに、会いとうて、ここへ来た…」はじめて女の体を教えてくれた於蝶と再会した半四郎。二人の忍びの交わりは戦場に熱く燃える。が、ただ独り信長の首を付け狙う於蝶との愛撫は、立場の違う半四郎の運命を変えてゆく。信長の小谷城攻めのさなか、決死の忍び働きに出た二人はかつての味方に包囲され散り散りになるが…。
於蝶とともに信長の本陣を襲ったあの夜、半四郎は織田軍の中を必死に逃げのびた。五年余、かつて自分を弟のように扱ってくれた鳥居強右衛門にめぐりあい、織田・徳川の前衛として孤立した長篠城に立て篭る。信長を討つことに執念を燃やす於蝶はどこかで生きているのだろうか。於蝶の悲願も空しく、天正六年、安土城は完成した。
信長の対抗勢力は次第に駆逐されつつある。於蝶の胸に密かな決心が湧きあがった。高遠攻めの本陣で、信長の長男、信忠はふとめざめた。(女忍びか…おれの寝首を掻きに来た)一瞬、於蝶の呼吸はおもわずゆるんだ。織田信忠は類い稀な美貌であった。信忠の手が於蝶の下着にふれる…。天下動乱をよそに女忍びの血はせつなく騒いだ。
戦争文学の「幻の名作」として本篇ほど長く文庫化が待望された作品はない。中国雲南の玉砕戦から奇跡の生還をし、郷里で老いてゆく二人の兵士。戦争とは何か。そして国家とは?答えられぬ問いを反復し、日々風化する記憶を紡ぎ、生と死のかたちを静謐に語る。この稀有な作家でなければ到達しえなかった清澄な文学世界である。
無類の刀好きだった秀吉は膨大な量の名刀を収集していたが、中に「にっかり」という不思議な名と由来をもつ一腰があったー。古来、刀は武器としてのみならず邪を祓い、身を守護すると信じられた。ゆえに、武将たちは己の佩刀に強いこだわりを抱いた。知将、猛将と謳われた武人たちと名刀との不思議な縁を描く傑作短篇集。
晩夏酷暑の或る日、郊外の風癲病院の門をひとりの青年がくぐる。青年の名は三輪与志、当病院の若き精神病医と自己意識の飛躍をめぐって議論になり、真向う対立する。三輪与志の渇し求める“虚体”とは何か。三輪家四兄弟がそれぞれのめざす窮極の“革命”を語る『死霊』の世界。全宇宙における“存在”の秘密を生涯かけて追究した傑作。序曲にあたる一章から三章までを収録。日本文学大賞受賞。
仁術の士モーリス・ルヴェルは稀代の短篇作家である。面桶に慈悲を待つ輩、淪落の尤物や永劫の闇に沈みし者澆季に落涙するを、或いは苛烈な許りに容赦なく、時に一抹の温情を刷き、簡勁の筆で描破する。白日の魔を思わせる硬質の抒情は、鬼才の名にそぐわしい極上の〓〓である。加うるに田中早苗の訳筆頗る流綺。禍棗災梨を憂える君よ、此の一書を以て萬斛の哀〓を掬したまえ。
三十三年余の短い一生に、珠玉の光を放つ典雅な作品を残した中島敦。近代精神の屈折が祖父伝来の儒家に育ったその漢学の血脈のうちに昇華された表題作をはじめ、『西遊記』に材を取って自我の問題を掘り下げた「悟浄出世」「悟浄歎異」、また南洋への夢を紡いだ「環礁」など、彼の真面目を伝える作品十一篇を収めた。
ゲイのカップルの会社員マルオと編集者ヒカル。ヒカルと幼なじみの売れない小説家菊江。男から女になったトランスセクシャルな美容師たま代…少しハズれた彼らの日常を温かい視線で描き、芥川賞を受賞した表題作に、交番に婦人警官がいない謎を追う「主婦と交番」を収録した、コミカルで心にしみる作品集。
完全な密室で発見された残虐な刺殺体。周囲のぬかるみに足跡も残さず消えた犯人。そして現場の床に整然と敷き詰められた赤い紙の謎。幾重にも重なる奇怪な状況に警察は立ち往生するが、小二の御手洗少年は真相を看破する。表題作ほか名探偵・御手洗潔の幼少期を描いた「鈴蘭事件」収録。ファン垂涎の一冊。
女性の身でオレンジ郡保安官事務所の殺人課を仕切る巡査部長マーシ・レイボーンには、試練の事件だ。保安官事務所の身内であるアーチー・ワイルドクラフト保安官補の自宅で惨劇が起きたのだ。妻のグウェンがバスルームで射殺され、アーチー自身も頭部に銃弾を受けた人事不省の状態で発見されていた。状況から見て、妻を射殺したアーチーが自らにも銃口を向けた無理心中事件と思われる。しかも彼ら夫婦は身分不相応の邸宅に住み、収入以上の生活を送っていた。経済的に追い詰められたアーチーが、覚悟の行動を起こしたのだろうか?だが、マーシは割り切れないものを感じる。状況に不自然な点が多過ぎるうえ、周囲の語る事件前の夫婦の生活からは事件の前兆すら嗅ぎ取れないのだ。やがて昏睡から覚めたアーチーは記憶の一部を失っており、自らの無実を語ることも出来ない。マスコミの圧力が高まり、マーシの疑惑をよそにアーチーの起訴を急ぐ検察局。だが彼女は事件の陰に大きな闇の存在を感じはじめていた-『サイレント・ジョー』でアメリカ探偵作家クラブ賞最優秀長篇賞を獲得した著者が放つ、最新傑作。
福井市の南西、南北に細長い谷に四百年前の遺跡が眠っていた。戦国大名・朝倉氏がここ越前一乗谷に五代百年に亘って文化と芸術の華を咲かせた城下町跡である。天正元年(一五七三)朝倉氏は織田信長に滅ぼされ、一乗谷は灰燼に帰す。しかし朝倉義景は、四年に及ぶ戦いの中で信長を苦しめた男だった。本書は敗者の側から歴史を描いている。これまで朝倉義景は、学問芸術にうつつを抜かした凡愚な武将としてしか描かれてこなかったが、平和な時代ならば名君と評価されたはずである。その義景が戦国という時代に何を思い、何を望んでいたのか。そこに勝者の側からだけではわからない人間の哀歓を描くとともに、遺跡とともに埋もれた歴史の実相を探る。