著者 : 庄野潤三
大阪府出身ながら著者自ら“青春の地”と称する神戸を、著者の同級生や神戸在住の叔父夫婦、貿易商の郭夫妻らとの交流を通じ、さまざまな角度でとらえていく。会話を丹念に再現することで、戦時中の悲しい思い出や戦後の復興期、ポートピアに沸く人々の華やいだ気持ちなどが手に取るようにわかり、今昔の神戸を描く、著者にとっての「神戸物語」となっている。
『貝がらと海の音』『せきれい』(いずれもP+D BOOKSに収録)、『ピアノの音』という、子どもが独立し、実家を出ていってしまったあとの、夫婦ふたりの日常を描いた連作の続巻。「同じようなことばかり書き続けて飽きないかといわれるかも知れないが、飽きない。夫婦の晩年を書きたいという気持ちは、湧き出る泉のようだ」と著者自身が「あとがき」で触れているように、庭に咲く花やご近所さんとの交流、家族旅行、孫の近況など、平凡な日常のなかのちょっとした変化を、さりげない、やさしい文章で記録していく。読む人が幸せな気分になれ、繰り返しページをめくりたくなる秀作。
ピアノとハーモニカの音色をBGMに、庄野ワールドが展開。「函館みやげ」「せきれい」「胚芽パン」「ハーモニカ」「玄関の花」「夏の思い出」…。晩年を迎えた作者夫婦の日常を、テンポよく場面を転換しながら綴る日記エッセイ風長編小説。ピアノのレッスンに通う作者の妻がブルグミュラーの練習曲「せきれい」に手間取っていること、お土産にもらった缶のカレーがおいしかったこと、作者が毎晩吹いているハーモニカの話、庭に埋めた肥料を猫が掘り起こして食べようとしていたので懲らしめようと思ったが逃げられたこと、子どもや孫たちとの交流などなど、きわめてささやかな話題が、庄野作品らしい温かいタッチで丹念に描かれる。
「もうすぐ結婚五〇年の年を迎えようとしている夫婦がどんな日常生活を送っているかを書いてみたい」-。庭に咲く四季折々の花々、かわいい孫たちの成長、ご近所さんが届けてくれる季節の風物など、作者の身のまわりの何気ない日常を、まるで花を育てるように丹念に描く。「棚からものが落ちてきても、すぐには反応できない」「歩くスピードが明らかに落ちた」などという老いの兆候も、戸惑いながらも受け入れ、日常の一コマとして消化していく。事件らしい事件は何も起こらないが、些細な驚きの積み重ねで読み応えある文学作品にしてしまう、まさに庄野潤三の世界。
幼稚園の年長さんになった庄野家・次男の子、文子(フーちゃん)は、作者の家(山の上の家)のすぐ下に住んでいる。ことあるごとに(ときには一日に何度も)行き来をしては、作者の妻が洋服をつくってあげたり、ご近所さんからいただいた季節の風物をともに楽しんだりしていた。そんな、まさに目の中に入れても痛くないほどかわいがっている孫が、隣駅の街に引っ越すことに。そしてほどなく卒園、小学生になり、ひとつの時代が終わりを告げる。妻は「フーちゃん、いちばん可愛いときに近くにいて遊ばせてやれてよかった」と何度もつぶやくー。足柄に住む長女夫婦、“山の下”に住む長男・次男夫婦、そして近所の人たちとの交流を写実的に、丹念に描く「フーちゃん三部作」完結編。気鋭の庄野潤三文学研究者・上坪裕介氏が「三部作」を通じた解説を寄稿。
神奈川県生田の高台にある「山の上の家」を舞台に、庄野家の穏やかな日常を描く日記文学的な長編小説。幼稚園に通う孫(次男の娘)フーちゃんの成長を中心にしながら、「山の下」に暮らす長男と次男の家族、そして足柄にすむ長女の家族らとの濃厚な交わりを丹念に描く。三世代が集う大家族の賑々しさ、季節の風物を届けてくれるご近所さんとの交流など、「古き良き時代」を感じさせてくれる佳作。『エイヴォン記』に続く「フーちゃん三部作」の第二弾。
デイモン・ラニアン『ブッチの子守唄』、ツルゲーネフ『ベージンの野』、チェーホフ『少年たち』、トルストイ『ふたりのおじいさん』など、著者の心に残った珠玉の短編を紹介する「読書日記」の体裁をとりつつ、著者夫婦が暮らす「山の上の家」にやってくる孫娘らとの平穏な日々を綴った心温まるエッセイ。近所に暮らす“清水さん”が季節ごとに届けてくれるエイヴォン、バレンシア、ソニアといったバラや水仙、ヒヤシンスなどの花々が、淡々とした日常にさり気ないアクセントを与えている。『鉛筆印のトレーナー』『さくらんぼジャム』と続く「フーちゃん三部作」の第一弾。
磊落な浪人生の兄と、気立ての優しい中学生の弟。男の子二人のおかしみに満ちたやりとりを見守る姉は、間もなく嫁いでゆく。自然に囲まれた丘の上の一軒家に暮らす作家一家の何気ない一瞬に焼き付けられた、はかなく移ろいゆく幸福なひとときー。人生の喜び、そしてあわれを透徹したまなざしでとらえた、名作『絵合せ』と対をなす家族小説の傑作。
熟年主人公の「私」は大阪府出身ながら生家は郊外にあり、家庭を持ってからは東京暮らしとあって、大阪の街について、実はよく知らない。そこで「私」は妻の従弟にあたる「悦郎さん」に会い、昔日の大阪を語って貰おうと会いにでかける。そして明治・大正・昭和の三代にわたる大阪商人の日常を丹念に聞き取ることで、“水の都”の移り変わりが匂い立つように浮かび上がってくる。淡いファンタジーの如く、さまざまな市井の人々の営みが生き生きと描かれた“第三の新人”庄野潤三の秀作である。
雑誌『群像』は1946年10月号を創刊号とし、2016年10月号で創刊70年を迎えました。これを記念し、永久保存版と銘打って発売された号には戦後を代表する短篇として54作品が収録され、大きな話題を呼びました。このたびそれを文庫三分冊とし、さらに多くの読者にお届けいたします。 1946年10月号を創刊号とし、2016年10月号で創刊70年を迎えた文芸誌「群像」。 創刊70周年記念に永久保存版と銘打って発売された号には戦後を代表する短篇として54作品が収録され大きな話題を呼び、即完売となった。このたびそれを文庫三分冊とし、さらに多くの読者にお届けいたします。第一弾は敗戦直後から60年安保、高度成長期にいたる時期の18篇を収録。 岬にての物語 三島由紀夫 トカトントン 太宰治 鎮魂歌 原民喜 ユー・アー・ヘヴィ 大岡昇平 悪い仲間 安岡章太郎 プールサイド小景 庄野潤三 焔の中 吉行淳之介 家のいのち 円地文子 火の魚 室生犀星 離脱 島尾敏雄 囚人 倉橋由美子 リー兄さん 正宗白鳥 水 佐多稲子 気違ひマリア 森茉莉 妖術的過去 深沢七郎 懐中時計 小沼丹 骨の肉 河野多惠子 蘭を焼く 瀬戸内晴美
学徒出陣を目前にした文学青年たちを描く自伝的作品。太平洋戦争の最中、昭和18年、九州大学に通う文学青年たちには深い交わりがあった。文学的揺籃期における恩師・伊東静雄(詩人)から受けた薫陶、そして、学生仲間(島尾敏雄がモデルの小高、森道男がモデルの室、林富士馬がモデルの木谷)との交流を描いている。遼史を読み、東洋史の学問にも励むが、それ以上に仲間たちと文学を論じ、酒を酌み交わしながら、それぞれの仄暗い“前途”を案じている。主人公の文学的形成の様を、約1年に渡り、日記スタイルで描いた“第三の新人”の代表的作家・庄野潤三の青春群像作。
ブルームーン(六月十五日)。妻は庭のブルームーンの咲いたのを三つ切って来て、書斎のサイドテーブルに活ける。-山の上の家で、たんたんとした穏やかな日常。子供も成長し、二人きりの老夫婦に、時はゆったりと流れてゆく。晩年の庄野作品の豊かさと温もりを味わえる上質の文学。
名作『夕べの雲』から三十五年。時は流れ、丘の上の家は、夫婦二人だけになった。静かで何の変哲もない日常の風景。そこに、小さな楽しみと穏やかな時が繰り返される。暮らしは、陽だまりのような「小さな物語」だ。庄野文学の終点に向かう確かな眼差しが、ふっと心を温める。読者待望の、美しくもすがすがしい長篇小説。
孫娘のけい子ちゃんに買ったゆかたが大きくて着られない。妻が寸法を直すことになったものの、お祭りは今日の夕方。さて、間に合うだろうか?…孫の成長を喜び、庭に来る鳥たちに語りかけ、隣人との交歓を慈しむ穏やかな日々。夜になると夫はハーモニカで童謡を吹き、妻はそれに和してうたう。子供たちが独立し、山の上のわが家に残された夫婦の豊かな晩年を描くシリーズ第十作。
今日も私は、庭の木に括りつけたかごの牛脂をつつきに来る四十雀を部屋の中から眺めているーバラの花は例年のように蕾をつけ、鈴虫は「お帰りなさい」と夫婦を迎え、子や孫たちの便りがほほ笑みを運び込む。季節のめぐりのなかで変わらずに続く、老夫婦ふたりの静かで喜びに満ちた日々を描いた傑作長篇小説。
妻の小さな過去の秘密を執拗に問い質す夫と、夫の影の如き存在になってしまった自分を心許なく思う妻。結婚三年目の若い夫婦の心理の翳りを瑞々しく鮮烈に描いた「愛撫」。幼い子供達との牧歌的な生活のディテールを繊細な手付きで切り取りつつ、人生の光陰を一幅の絵に定着させた「静物」。実質的な文壇へのデビュー作「愛撫」から、出世作「静物」まで、庄野文学の静かなる成熟の道程を明かす秀作七篇。
子どもたちがみな独立し、丘の上の家に残ったのは老夫婦だけ。四季の草花や小鳥を愛で、夕食の後にはハーモニカ演奏を楽しむ。娘から届く心こもる手紙、隣人との温かな往来、そして家族全員がそろう賑やかな正月。小さな孫の一人が大切にするうさぎのミミリーも、ときどき家に預けられて元気よくはね回る…老夫婦の飾らぬ日常と、その中に見出す喜びと感謝を綴る、シリーズ第七作。