出版社 : 岩波書店
「豚になってでも生きろ」-李芳根の助けで日本に逃れた南承之。済州島に残った芳根が自殺した日の夜、承之と芳根の実妹で東京に住む有媛は同時に芳根の夢を見る。二つに割れてそれぞれの心の中に生きる芳根の魂が二人を引き寄せていく。名作『火山島』の続々編にあたる本作は、金石範文学の原点であり、巨大な小説の終わりでもある。
高度経済成長の栄光を謳歌したアパレル産業はなぜその輝きを失ったのか!?焼け跡からの勃興、群雄割拠の戦国時代からユニクロやZOZOまで、日本経済の栄枯盛衰とともに描く一大産業絵巻!
マトー率いる傭兵の反乱はカルタゴを苦しめる。長引く戦闘、略奪、飢餓。女神の聖衣を奪われ国を窮地に陥らせたサラムボーへの糾弾の声は高まり、ついに獰猛なモロック神への子供たちの供犠が始まる。激情と官能と宿命が導く、古代オリエントの緋色の世界。
メキシコ革命の動乱を生き抜き、経済界の大立者に成り上がった男アルテミオ・クルスの生涯と、かれが生きた疾風怒涛の時代の風景を、内的独白、フラッシュバック、時制と人称の巧みな混用など、様々な文学的手法を駆使して描く、ラテンアメリカ文学の最重要作。
ゲルマント大公邸のパーティーに赴いた「私」は驚愕した。時は、人びとの外見を変え、記憶を風化させ、社交界の勢力図を一新していたのだ。老いを痛感する「私」の前に、サン=ルーの娘はあたかも歳月の結晶のように現れ、いまこそ「作品」に取りかかるときだと迫る。
ミヒャエル・エンデが、父エトガーに捧げた代表作を、生誕90年記念版として新訳にて刊行。謎めいた幻想譚30篇と、父エトガーによる不思議な魅力に満ちた絵画は、書物のなかで、終わりのない響き合いを続けている。
あたしは、月のように死んで、生まれ変わるーーこの七歳の娘が、いまは亡き我が子? いまは亡き妻? いまは亡き恋人? そうでないなら、はたしてこの子は何者なのか? 三人の男と一人の女の、三十余年におよぶ人生、その過ぎし日々が交錯し、幾重にも織り込まれてゆく、この数奇なる愛の軌跡。プロフェッショナルの仕事であると選考委員たちを唸らせた第一五七回直木賞受賞作、待望の文庫化。(特別寄稿:伊坂幸太郎) 午前十一時 1 2 3 4 午前十一時半 5 6 7 8 午後〇時 9 10 11 午後〇時半 12 午後一時 13 特別寄稿 伊坂幸太郎
19世紀末、ロンドン。画家のモデルをつとめるドリアンは、若さと美貌を映した自らの肖像画を見て、自分自身はいつまでも若々しく、年をとるのは絵のほうであってほしいと願うー。快楽に耽り悪行に手を染めながらも若さを保ちつづけるドリアンと、かれの魂そのままに次第に恐ろしい醜悪な姿に変貌する肖像画との対比を描く。
「彼女に恋していたから、彼は苦痛だった」-裕福な趣味人マリオルは心ならずもパリ社交界の女王ビュルヌ夫人に魅惑される。マリオルの繊細な愛情を喜びながらも、夫人がなにより愛するのは自らとその自由…。独立心旺盛な女と、女に振り回される男のずるさ、すれ違う心の機微を、死期の迫った文豪が陰影豊かに描く。
三十以上の言語に翻訳されている、世界的名作。現代カタルーニャ文学の至宝と言われる。スペイン内戦の混乱に翻弄されるひとりの女性の愛のゆくえを、散文詩のような美しい文体で綴る。「『ダイヤモンド広場』は、私の意見では、内戦後にスペインで出版された最も美しい小説である」(G.ガルシア=マルケス)。
少年マルコが母親を捜してイタリアから遠くアンデスの麓の町まで旅する「母をたずねて三千里」の原作を収録。どこの国でも、いつの時代でも変わらない親子の愛や家族の絆、あるいは博愛の精神を、心あたたまる筆致で描く、エドモンド・デ・アミーチス(1846-1908)の代表作。世界中の人びとに愛読されつづけてきたイタリア文学の古典的名作。
大逆事件と時代への批判,諦観の想いを述べた「花火」,反時代性の果てにあるエロスをテーマとした「夏すがた」,爛熟した江戸情調への追慕を綴った戦前の小説,随筆を精選した.「来訪者」は,戦中に執筆され,終戦直後,発表の実験小説,鶴屋南北の「四谷怪談」を連想させる,男女の交情を凄愴の趣を込めた描いた問題作.(解説=多田蔵人) 花 火 曇 天 怠 倦 銀座界隈 花より雨に 蟲 干 初 硯 * 夏すがた にくまれぐち あぢさゐ 女中のはなし 来訪者 夢 解 説ーー永井荷風・沈黙の論理……………多田蔵人
満洲の牡丹江にある森田酒造の店主・森田勇太郎は、馬賊の襲撃に怯えながら関東軍の協力もあって森田酒造を満洲一の造り酒屋にした。勇太郎・波子の娘・美咲の家庭教師だった白系ロシア人のエレナは、森田家に出入りしていた恋人氷室啓介によって家族の目の間で処刑された。いったいエレナに何があったのか。映画・テレビドラマ・ラジオドラマ・舞台上演などがなされた著者の代表作。