1995年5月発売
東京から北越の温泉に出かけた「私」は、ふとしたことから、「繁華な美しい町」に足を踏みいれる。すると、そこに突如人間の姿をした猫の大集団が…。詩集『青猫』の感覚と詩情をもって書かれたこの「猫町」(1935)をはじめ、幼想風の短篇、散文詩、随筆18篇を収録。前衛詩人としての朔太郎(1886-1942)の面目が遺憾なく発揮された小品集。
サンフランシスコのアトリエにいる彫刻家を責め立てる、日本の妻からの長い国際電話。彫刻家の前には二人の白人女性が…。卓越したシチュエーションと透明なサスペンスで第七十七回芥川賞に輝いた表題作ほか二篇を含む、衝撃の愛と性の作品集。
その朝、休暇を返上して警察本部に出頭したフィンチ首席警部を待っていたのは、いささか風変わりな事件だった。かつては富をほしいままにしたアストン家。その広壮な屋敷で、同じ夜に二人の人間が自然死を遂げたのだという。不自然きわまりない状況の背後に、フィンチが見いだした意外な真相とは…。鮮やかな描写を駆使して周到な謎解きを展開する、女流本格ミステリの粋。
●西尾維新氏推薦ーー「比類なき精度で描かれた、孤高にして至高の探偵小説」 アパルトマンの一室で、外出用の服を身に着け、血の池の中央にうつぶせに横たわっていた女の死体には、あるべき場所に首がなかった! ラルース家をめぐり連続して起こる殺人事件。警視モガールの娘ナディアは、現象学を駆使する奇妙な日本人・矢吹駆とともに事件の謎を追う。日本の推理文壇に新しい1頁を書き加えた、笠井潔のデビュー長編。解説=巽昌章
日本にもシャーロック・ホームズはいた。江戸の風物、人情に関する綺堂の豊かな造詣と限りない郷愁を身にまとった神田三河町の岡っ引・半七の名推理は、大衆文学史に、“捕物帳”という魅力のジャンルを拓いた。江戸ならではの怪事件の謎を通して、この街に生きた人びとの息づかいをも活写した探偵譚六十八編から、江戸市井物に才筆を振るう直木賞作家が十編を厳選、雑誌発表時の挿絵とともに贈る。
「君は私のものだ」-舞台がはねた後、伊関拓朗を待っていたのは、大手広告代理店課長・永見潔の熱烈なアプローチだった。永見の艶やかな眼差しに心を奪われながらも、自分の未来を決めつけたような言葉に反発し、思わず犯してしまう…。
バイストン・ウェル…それは、現し世とは違った別世界。自分たちに夢と希望と与えてくれると、現世に生を受けし者たちのだれもが、想いをいだく、異なる世界。だが、それは、現世に生きる者たちの甘美な夢と幻想でしかなかった。そのことを、彼、主人公・千秋クリストファは、この本を手にとる者に語り伝えてくれるだろう。いま、ここに、新たなオーラロードの扉が開かれる。
SFCソフト『真・聖刻ラ・ワース』の小説版。序章とも言える前作『真・聖刻熱き疾風猛き思慕』のラストから15年後、主人公シフォンは盗賊タグマの息子としてたくましく成長していた。中原の南部に位置するキタン王国での陰謀に巻き込まれたシフォンは、王女ミシェルダとともに伝説の操兵をめぐる八人の練法師との戦いに乗り出していくが…。話題沸騰の『聖刻』新シリーズ本編の幕開けだ。
盗賊の息子として成長した主人公シフォンは、ふとしたことから中原の南部に位置するキタン王国の王女ミシェルダと知り合い、キタン乗っ取りの陰謀に巻き込まれる。王女とともにキタンを逃れたシフォンは、追っ手と戦ううちに伝説の操兵をめぐる八人の練法師との戦いに乗り出していく…。『八の聖刻』の伝承とは。伝説の白い騎士とは。『真・聖刻』の謎がここに明らかになる。
丸メガネの似合うおっとり型の仮免巫女・神宮寺トモコと、タカビーなお嬢・大月美弥子が巻き起こす学園バトル・コメディ。日本妖怪界に君臨する超ビッグ妖怪、ガネマル狸に魅入られた古妻女子学園を舞台に、霊能戦士としての修行を積むトモコの祓え串と、PTA会長の娘・美弥子のタカビーパワーが炸裂。異界と現世を行きつ戻りつの、ハチャメチャバトルがここに開幕する。
昭和20年8月7日、豊川海軍工廠はわずか26分間の爆撃によって壊滅、2500名を超える爆死者が出たが、その中に、450名以上もの若い学徒が含まれていた。彼らはどう生き、どう死んだのかー。当時、地元の中学生であった著者が、様々な貴重な証言、資料を集めて、必死に生きようとしていた彼らの青春の日々をたどった、感動的ノンフィクション・ノベル。広島、長崎の原爆投下日にはさまれ、世に知られなかった大惨事を初めて明るみに出した重要な戦争記録でもある。
六本木の中心に劇場を構える劇団・演劇座。硬直化した状況の大掃除役として脚本家・河野圭子に白羽の矢が立つ。ゲーテの「ファウスト」を旧友の団員・熊田のメフィストで、上演しよう。圭子の想いは深まる。が、熊田は現われない。俳優の基本は肉体。俳優に必要なものは華。演劇の原点を問い直す圭子の格闘の日々が始まった。
夫の癌との闘病時に回復した関係がいままたあやふやになっている五十代の夫婦のある種の喪失感を伴った日常を軸に描くそれぞれの惑い。忍び寄る老いを感じつつも、なお恋の妄執にとらわれつづける男や女たち。